20190426(金)
大学へ。
教務室にて先生と「今日何しますか?」っていう打ち合わせ。
最終的には生徒を観て、ワタリが決めるけど、おおまかなガイドラインはここで決める。
その打ち合わせ時に先生が
「前にすごい人気の声優さんに授業をしてもらったんだけどね、やっぱりね、どっちかっていうと自分が真ん中なんだよね。ワタリさんは自分でなくて相手なんだよねぇ・・・もちろん生徒にとって『誰に教わるか』っていうのが大事な部分もあって、そういう人気とかによって、聞く姿勢が全然違うからまぁ、そういうのも必要なのかもしれないけど、やっぱり全然違うんだよなぁ、自分が真ん中の人と、ワタリさんのやつは・・」
という話がでた。
その人は自分のプロフィールをちゃんと用意して、僕は誰なのか?をしっかり生徒に伝える。
「こんな人に教わっている!」というミーハーな心から生徒は楽しんでいく。
そういうことってあるよね〜と。
ここでふと他の大学の授業を思い出した。
ワークをする回数の少ない大学で、それもあってワタリを呼んでくれている先生が事前にワタリの情報を生徒に教えた。
その中で、ロクディムがタカアンドトシさんの番組にでたということも伝えたようだった。
そしたら、ワタリが学校にいくなり、生徒がきて
「ワタリさん!タカアンドトシさんに会ったんですよね!」
って関わってきた。
その時の
あの「ワタリを見ていない感じ」を思い出した。
彼女はワタリを見ているんでなく、「タカアンドトシさんに逢った人」を見ている。
そういうレッテルを使うことで、距離感が近くなったり、生徒がワークに臨む姿勢が変わったりする。
でも、だ。
あまりにやりすぎると「この人に認められたい!」とか「この人のいうことが正解!」とかになってしまう。
そうやって商売をしている人がいる。それはそれ。
ワタリがやりたいことはそうじゃないんだなぁと考えることができた。
もちろん、まったくワタリのことを知らない中で、少しでも関係を和らげるために、やっていることとか、肩書きとかを伝えることもある。
「なので不審者ではありません(笑)」くらいに。
あとは、自分が自分のために取り込んでもらえるようにしたい。
またそういうレッテルがないから、毎回集まった生徒との真剣勝負になる。大変なんだけど。
そこから関係を一緒に育んでいくから聞ける話や見える表情がある。
で、最終的に「なんか一緒におって面白くなるおっちゃん」くらいがちょうどいい。
ミーハーになるのでも、肩書きでなく、自分のやっていることをまっすぐに観て、ちょくせつ触れて、それで感動して尊敬したりするのは純粋なものであるから、同じミーハーではまったく違うんだよね。
直接触れてるのか、そうでないのか?
っていうのもまた興味深いことだ。
Photo by Ben Duchac on Unsplash
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