なぜ日本はキース流インプロが主流?忍翔との対話で見えた日本の特殊性とインプロの本質

先日、インプロ仲間の忍翔くんとX(旧Twitter)のスペースで対談しました。
かなりの頻度で海外のインプロフェスに参加している彼が時々「スペースやりませんか?」と声をかけてくれるのは、嬉しい刺激。

「また話したいです!」「うん!いいよ!」でスタートした今回のスペース(毎回そうだけどねw)、話していくうちに出てきたのは、アジア、そして世界における日本のインプロシーンの位置づけでした。

アジアではフィリピンやシンガポールなどでインプロのフェスティバルが開催され、国境を越えた交流が盛んのようです。しかし、「日本は海を超えてインプロを学びにくる人は少ない」というイメージを持たれている、と忍翔くんは言います。

その一方で、非常に興味深いなと思ったのは
他の多くの国と異なり、日本ではキース・ジョンストンのインプロが主流である、ということ。
これは世界的に見てもかなり珍しい状況なのだそうです。

なぜ日本でキースのインプロが主流なのか?
ワタリはキースが日本にきたときに開催したワークショップを受けたことがあります。
そのときにキースは
禅や剣術、黒澤映画といった日本文化への関心を語り、
また「(私の考えを表現するのに)日本語の方が適した言葉がありそうだ」と言っていたことをよく覚えています。
ポジティブとネガティブというよりも「前に進んでいるかどうか?」なんだよね。日本語にはそういうニュアンスの言葉があるんじゃないか?と。

キースのインプロは、面白おかしいコメディというより人間の愛らしさからくる興味深さだったり、解放よりも自由だったり、闘いよりも融和だったりと、その思想は日本に通じるところがあるなぁとワタリ個人は思います。
だから日本人と親和性があるのかもしれない、と。

また海外ではキース流インプロは「難しい」とされ、敬遠されることもあると聞きます。(※難しいっていうのワタリも経験上よく分かります)

彼が考案したライブは「バトルスタイル」が多いけど、勝ち負けそのものが目的じゃないんですね。
なにより俳優が安心してステージに立てるための思想と巧みな「装置」。

その「装置」を本当の意味で楽しみ、活かすためには、演じる側の人間的な成熟度が問われる。 だからこそ難しく、同時に、とてつもなくやりがいがあるのだと思います。

今回の対談は、忍翔くんが最近参加したドイツでのキースの愛弟子3人による10日間のワークショップの話が中心でした。キースのマインドを受け継いだ3人が指導するその場は、国籍も背景も様々な人々が集いながらも、驚くほどピースフルで、安心感があったそうです。
互いをサポートし、鼓舞し合い、自然体でユーモアがある。
キースのインプロを体現するには必要な要素。
そういう姿勢をもった人たちが集まったらそら平和よな〜!と。

また、指導者の一人であったパティ・スタイルズの「指導者としての在り方」の話も、深く考えさせられました。
とにかく細やかで、丁寧だった、と。

それは指導者に限らず、プレイヤーにとっても同じこと。
インプロは、今ココに活き活きと存在し、瞬間瞬間の微細な変化を捉え、それに対して的確に、かつ創造的に反応していく芸術。
そのためには、観察力、感受性、そしてそれを表現するための語彙力(身体的・言語的)が不可欠。

この「細やかさ」と「丁寧さ」。本質的な部分を体現できるようになるには、やはり時間がかかる。近道はありませぬ。
しかしながら近道はないけど加速させることはできる。
前のブログで書いた、「良いワーク(稽古法)」「良いコーチ(指導者)」「良いプレイヤー(参加者の姿勢)」という三つの要素が揃うことが大事です。それが揃えば確実に加速し豊かで実りあるものになる。

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忍翔くんとの対話を通して、日本のインプロが持つユニークな可能性と、私たちが日々取り組んでいることの価値を、改めて強く感じることができました。

感謝。

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