20190123(水)
即興芝居は今を大事にする。今を使い切る。生ききる。
また同時に今までやってきたことを今起きていることに結びつけることも大事になってくる。
「今」という点を線にする。
また「今」という点を重ねていくというイメージでもある。
点と点が繋がって進んで重なっていく。そのイメージを進めていくと「螺旋」になるのかもしれない。太陽を取り巻く惑星の動きも「螺旋」。人間のDNAも「螺旋」。
即興は螺旋・・・いや、でももっと厳密にやると「線」ではなくなって「積み重ね」になっていく・・それはまるでタワーのような・・バベルの塔みたいな・・なんてとりとめもないことをぼんやり考えたりする。
話を戻す。
即興は今を思いっきり生ききる。
生ききった先には、まだ見ぬ次が現れる。
生ききらないと、想定内の次がやってくる。それはパターンになっていく。
それは自分の生き方にもでるなぁと思うことがあった。
先日のブログでも書いた「てん屋で起きた意識革命」からワタリの意識は少しずつかもだが、間違いなく変わっていっている。
自分が今いる環境、関わっている人や、出逢った人や、生きている場所や、やっていることなどを、生ききっているのか?
即興芝居のように、無我夢中で今を一緒に共演している仲間と生ききっているのか?
自分のやれる範囲で、自分が否定されない世界で、傷つかない程度の距離感でやっていないか?
その生き方が「悪」と言っているわけでなく、そういう世界でやっていることに気づいているかどうか?ってことが大事になってくる。
ワタリはてん屋で気づいた。
自分がどこにいるのか?何をしているのか?をもっと俯瞰で観ることができた。
恐れていること。その恐れから行動が決まっていること。
それを観た時に、そんな生き方で40代を過ごすのか?って思った。
答えは「NO」だった。カッコいい言い方をしすぎた。
答えは「やだ〜」だった。なんでオネエ言葉なのかはよくわからない。
自分が一生懸命やっている「つもり」になっていることを知っていく。
ある時は「なんやねんな〜!」と笑える。
でもある時は衝撃過ぎて吐きそうになる。
または情けなさ過ぎて涙が出る。
でも気づけて良かったと感謝する。気づかせくれた事柄や、それをキャッチできた自分に感謝する。
それで終わり!にしたい気持ちもある。
あ〜気づけた良かった〜ってね。それで行動せず終わるってね。
そのほうが楽だからね。短期間でみたらね。でも長期でみたら、気づいたのに何もしなかったら、10年後もっと泣くことになる。
だから、行動する。勇気をもって。
意識が変わったら、思考が変わる。思考が変わったら行動が変わる。行動が変わったら人生が変わる。
みたいなことを言ってる人がいたような気がする。いなかったらワタリが考えたことにしたい。
そんなことを考えていたらまた別の思考が働く。
「そんな大変なことしなくても、先に行動変えたら意識は変わるよ」
心の中の誰かが言った。それもそうだ。
それも即興的だ。先に行動しちゃうってね。思考はあとからついてくる。
でも、それができないほど、動くことができないほどの恐怖っていうのがある。
大事であればあるほど、恐怖も大きくなる。
その恐怖と向かい合うことができない時は、気づきもしない。その恐怖をできるだけ遠ざけようとする。思考することもしない。
じゃあなんで気づいたのか?
もっと自由に。と、いつも思っているからかもしれない。
ワークショップでも自分を投げ出し、参加している人の意識に触れる。
その人たちの行きたいところに行く手伝いをするわけだけど、その時に邪魔になっているものに出逢っていく。「壁にぶち当たる」と言われる「壁」に出逢う。
高ければ高い壁のほうが登った時気持ち良いもんな。これも誰かが言っていた気がする。じゃなかったらワタリが言ってたことにしたい。今度これを歌にでもしてみたい。
色んな人の壁を見てきているからか、自分の何かに当たったのがわかった。目に見えないけど、確実に違和感がある。自分を進ませようとしない何か。
「なんだろう?なんでだろう?わかんないな」
そんなことで何年も済ましていた。
でもその違和感はずっとある。それを感じ続けて、ようやっと見ることができた。壁だ。
その壁を登るも良し、壊すも良し、横をすり抜けるも良し。
その恐怖、壁に気づく。気づいたら見ることができる。見たら変わる。
気づくことと、見ること。ちゃんと見ることができるには、その人のタイミングもある。ちゃんと見れるタイミングで、見る。
と、いうことで、ワタリは行動していくわけです。
カタヨセヒロシと五反田のタリーズで逢い話をしました。
ワタリにとって大事なことだったので、魂の片割れカタヨセに伝えようと。
ワタリは気持ちを落ち着かせ、カメラを回し。話し始める。
静かに涙が出ていた。突っ込まれなかったけど、泣いていたよ。
「いい話だな」とヒロシ。
その後のヒロシの話はワタリに対してというより、全体のことだったので、ワタリは「で、この話は嫌だった?」とか「これからヒロシと色々話そうとしているけど、それって面倒くさいって思っている?」なんて確認。笑いながら「いや、
そんなことはない」とヒロシ。
まったく違う感性の人間が関わりあう。協力しあう。とことん。
その宣言のような時間。
20歳の時にワタリが「一緒にやりたい!遊びたい!」と思ったメンバーを集めた(それがのちのロクディムになる)時と同じくらい大事な時間。
ワタリの中ではとっても大きいこと。
壁を超えたら変わる。
色んなことが、ここ何年かの関わりでなくなる。
全部は
「今を生ききる」「本気で遊戯する」ために。
今は生ききった先に何があるのかをワクワクしている。
あらかた話しして落ち着き始めたことに「すいません。ここって座れますか?」とサラリーマンがワタリたちが荷物を置いている席を言ってきた。
「あ、はい」なんて言って荷物をどかしたら、とっても窮屈な空間になったので、タリーズを出た。
奇しくもタリーズ。
先日の3人会を思い出す。
タリーズってそういう場所なの?
ワタリのワークショップ「ワタリーショップ」は都内で定期開催。
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