即興遊戯者・ワタリ(@watari_bouya)です。
先日、弁理士会研修でのワタリーショップをやってきました。
今年で3年目。
数年前、八田雅也という男が「俳優や表現者じゃない人達に対してもワタリーショップを開き経験させたい」という気持ちを持ち「共感道場」と銘打って活動してくれていました。
そこで弁理士の高橋さんと出逢いました。彼もワタリーショップを体験し「これは弁理士をやってる人達にものすごい必要だ!」となり研修に呼ばれるようになりました。
この研修では、「相手の意図を汲み取ること」や「相手の気持ちを考えること」「自分の持てる知識や能力を自分を守るために使うのではなく相手を活かすために使うこと」にフォーカスしたワークショップを行います。
テーブルを取っ払い、体を動かしながら進む研修に最初は戸惑いながらも、やってることの意味を噛み砕きながら伝えていくとすぐに馴染み始め笑顔がこぼれました。
あっという間の90分。
ワタリにとっても今までのワークをさらに細かく奥に踏み込んで伝えられた感覚がありました。
決めつけず、改めて見つめることで、気づくことや、深まることがある。
慣れたことをそのままやるのではなく、より伝わるためにはどうすれば良いかを考える。そうすることでより自身の理解が深まる。そうすると伝え方が変わってくる。深まったところからの声になる。声の響き方が違う。より影響がある感覚がある。いま、伝わったという感覚。
その場で本当にその人が話しているという力、生感(なまかん)の強さ。それは間違いなく相手に何かしらの影響を与える。
決まったことを読んでいるのか?
相手に届くようにスピーチしているのか?
違いは間違いなくある。
信じているものを発見し、確認していく。
ワークが終わった後、参加者の一人が話しかけてくれた。
より理解を深めたいという話。ただ、いまはもらった情報が多すぎて掴みきれず不安がある様子だった。
「研修をちゃんと身になるものにしないといけない」というようなシリアスな雰囲気を感じた。
「〜しなければいけない」は、喜びから遠いところにあるもの。そして、自分の感覚を鈍らせるもの。
本当は理解してることも、自身を疑っていたら分からなくなる。
その人は多くを吸収したはずなのに、信じられない様子だった。
その時のその人の顔や体は、どこに緊張があるのかなどを伝えて、今日楽しいと感じた時に自分はどうなっていたかを問うてみた、顔が明るくなった。
今の自分がどうなっているか理解する。自分と繋がる。
そして、どうなりたいか見つめる。ビジョンを描く。
すると通りが良くなる。
「時間がかかるかもしれませんが、体に落としていきたいと思います」
有難い言葉。
自分の感覚を信じること。
抗わず疑わず「それで良いのだ」と信じる自分を許可すること。
ちゃんと見てあげると、体が喜ぶ。
勇気がわいてくる。
その後は実行委員の弁理士さんたちと打ち上げ。
皆それぞれの熱い思いを語り合う。
3年目。歴史ができてきた。
コメント