ベーシックワークショップ。
久しぶりに定員となった。
10年以上継続してやってきている分、何人だろうがやる姿勢なので多かろうが少なかろうがそこまで気にしなくなっているのだけど、多いとなんかイベントみたいでそれはそれで少ない時にはない空気になりまた新鮮で楽しい。
初めましての人も複数参加した。継続してきてる人にとっても刺激になるので、いつも良い配分になれるよう頑張ろうと思う。
自分が本当に感じていることを知る。本当に考えていることを知る。
それを無条件に表に現す。それは現そうとしてもできない。
自分が無条件になっていないとできない。
判断や理解といった思考が入ると、どうしても今の自分の枠から出ていかない。
今の自分がOKにしていることしか出さないし、やらないし、理解しない。
それ以外の想定外の相手の行動に合わせることができない。
言葉だけ受け入れる。ペラペラなやり取りになる。
ワークしながら、普段感じていることが本当のことだろうかと疑問を投げかけてみる。
参加者に即興に苦手意識がある人がいた。苦手に意識がいくから、いつもそのチェックが入る。
「あ、やっぱり苦手だった」「あ〜ここダメだ〜だから苦手なんだ」「いま、相手嫌な顔したな。。やっぱり苦手・・」
苦手なところしか見なくなる。
楽しい瞬間のほうへ。嬉しい瞬間のほうへ意識を向ける。
苦手が支配しているとなかなか難しい。でも諦めたらダメ。探す。ものすごい探す。
それと、苦手だ〜って自分もしっかり見てあげるといい。
そうか、苦手だね〜と。もしくは本当に苦手か?と。
もしかしたら、誰かに植え付けられてないかその苦手意識?と。
嫌な部分も良い部分も色々な自分を見てあげる。意識してあげる。
まるごと見て、身体が嬉しい〜ってなったら、良いね〜となったら。
自分が守っている枠が取れていく。詰まりがとれる。
自分の通りが良くなる。
筒みたいになる。
そしたら相手の意識も入ってくる。
相手や周りを感じられるようになる。
自分を守っていたらできない。他の人の正解や良いと言われるものに合わせていて、自分を騙していたら感じられない。
自分をないがしろにしない。いい部分だけじゃなく色んな面を見てあげる。
押さえつけず、我慢せず、遊ばせる。
そこそこ楽しいとか、まぁ嫌じゃなかったとか、相手の顔色みて嫌な顔しないようになんて小さい世界でやらない。
とことん遊ぶ。一緒に遊ぶ。
それってどういうことなんだろう?って考えてみる。
楽しいってなんなんだろう?自分が楽しいって思っていることって本当か?
体験していく。
また、傷つきそうになった時、傷つかないようにするために色々誤魔化す。正当化をする。そうなる数秒前から準備をして、たくみにそれをする。
ゆえに本当に感じていることが分からない。誤魔化している自分が表に出るから、相手は余計に嫌になる。つまり誤解される。
それは自分自身を誤解していること。
本当に見ようと思わないと見えない。覚悟が必要な時もある。
それができていないと、いつまでたっても理解はしているけど、本当のところは見えてこない。
今日もたくさんのチャレンジがありました。
ハッと気づく瞬間にも立ち会えた。詰まりが取れる瞬間。
そして、何よりも自分の欲求があるのかどうか?も大事だなぁと思った。
じゃなければ、それこそ習い事になってしまう。即興は習い事ではない。
自分をまるごと差し出して相手と融和して紡ぎ出すアート。
コメント
コメント一覧 (2件)
私にとって、昨年のワタリ―ショップ初体験での『母の同窓会・(サブタイトル)赤いドレスとファーのバッグ』は、おそらく忘れることのできない時間になりました。
またぜひ参加したいで~す。
ぷんちさん
コメントありがとうございますっ。
『母の同窓会・(サブタイトル)赤いドレスとファーのバッグ』
ワタリも覚えてますよ〜wまた是非!参加ください〜っ。