変われない理由

先日、SNSで以下のつぶやきをポストしました。

これについて「もっと詳しく知りたい」とか「いまの私達です」などという有り難いお言葉をもらったのでもう少し詳しくブログにも書いてみようと思う。(※そこを詳しくじゃなかった~とか全然あると思いますがw)

なずなんでそう思ったのか?

先日、ワタリにとってとっても大事な会合があったんですね。
もしかしたら今後の自分の人生を左右するような会合。
自分だけのことであれば自分個人が決めたら良い。
でもそれ以外のこと。
例えば会社でも夫婦でもチームでもそうですが、人と関わりながらやることは自分1人では決められない。
最終的には1人で決めるんだけど、どちらにしてもしっかりと向き合って決めたい。
若い頃なんてのは「だるいんで!ブッチしました!」っていう一切の相談もなしに進退を決めるっていうのもありでしょうけど(ワタリは性格上できなかった)

そんな大事な会合を前にして、ワタリの心はちゃんと定まっていなかったんです。

自分の中で「なにを話するか?」が決められていなかった。
しかし、その話す言葉ひとつで大きく未来が変わりそうなことだけはわかっていた。

いままでの自分がどうだったか?
いままでの相手がどうだったか?
いまの自分の気持ちをシェアする?
いまの相手の気持ちを傾聴する?

どれも良いようでしっくりこなかったんです。

そこで見つけたのが冒頭の言葉。

「可哀相なわたし」
「悪いあいつ」

でなく

「これからどうする?」について話そう。

この言葉はどこで?

ハッシュタグにもある「アドラー心理学」で大事にしていることの1つなんですね。

アドラー心理学っていうのが日本でめっちゃ知られたのは「嫌われる勇気」という本だと思います。
もう10年くらい前に出版されたのかな?ワタリももれなく当時に読んで衝撃を受けた本です。

調べたら『嫌われる勇気』が発売されたのは2013年12月でした。
そしてその後も異例のロングセラーを続け2020年時点ではシリーズ累計700万部(国内228万部、世界500万部以上)の大ヒットを記録しているとのこと・・すさまじい。

今回の話はその続編である「幸せになる勇気」の一説にあったのでした。

どういうことなのかもう少しだけ詳しく書いてみます

カウンセリングや相談ごとを聞く時のほとんどはだいたい
「かわいそうな私」
「悪いあいつ」
で語られるという。

しかし、それだと一時の満足感は得られるかもしれないけど、なにも解決しないどころか依存を招いてしまう。

アドラー心理学ではこの2つは聞き流しもう一つの

「これからどうする?」

について話す。

という話。

またアドラー心理学では過去は存在せず、過去(原因)があるから人は変われないのではなく、今の自分の目的によっていくらでも変えられる。という考え方なんですね。
原因論でなく目的論。

なので

「過去に起きたことが原因で進めなかったり変われなかったりする可哀想な私」

「そんな可哀想な私になったのはあいつのせいだ!あいつが悪い!」

という話は相手にしません。

そんな内容を読んだときに
ワタリの「しっくりこない」が明確にわかったんです。

いままでの自分がどうだったか?
いままでの相手がどうだったか?
いまの自分の気持ちをシェアする?
いまの相手の気持ちを傾聴する?

これのどれもが

「かわいそうな私」「悪いあいつ」の中に入ってしまう。

それよりも

「で、これからどうする?」

について語り合うことのほうがよっぽど気持ちいいし楽しいだろうと。

きっとタイミングもあったと思うんですね。

タイミングが違えば
「かわいそうな私」の話をしたい!ってなったり
「悪いあいつ」の話をしたい!」っていうふうになっていたのかもしれない。

でも、心から「これからどうする?」が一番いいって思えた自分にも救われた気がしました。

なのでSNSにポストした次第。

目的論の奥深さ

「そうは言ってもそれって理想論じゃない?過去が原因で変えられないこともあるんじゃ?」って思う人もいるかもしれません。

アドラー心理学ではそれも原因ではなくあくまで目的というんですね。
つまり「変わりたくない」という目的。
多くの人が変化することを恐れる。
乗り心地が悪くても馴染みのある自分でいようとする。

それについて、「本当にそうだ!」と痺れた一説があったので引用します。

この「幸せになる勇気」も前作「嫌われる勇気」同様、青年と哲人の会話形式で進んでいきます。

その中で、

「変化することは死そのものだ」と哲人は言います。

以下引用。

「たとえばいま、あなたが人生に思い悩んでいるとしましょう。自分を変えたがっているとしましょう。しかし、自分を変えるとは、「それまでの自分」に見切りをつけ、「それまでの自分」を否定し、「それまでの自分」が二度と顔を出さないよう、いわば墓石の下に葬り去ることを意味します。そこまでやってようやく、「新しい自分」として生まれ変わるのですから。
では、いくら現状に不満があるとはいえ、「死」を選ぶことができるのか。底の見えない闇に身を投げることができるのか。・・・これは、そう簡単な話ではありません。
だから人は変わろうとしないし、どんなに苦しくても「このままでいいんだ」と思いたい。そして現状を肯定するための、「このままでいい」材料を探しながら生きることになるのです。

著書「幸せになる勇気」より

目的が変わらない限り、ずっと同じでいる。
「変わろうと思ってるんですけどね~難しいですね」とか
「変われるように自分のペースでやってるから!」と感情的になって話すらできない人もそうだけど
きっとそれは「変わりたくない」という目的になっている。

見切りをつけられず、それまでの自分を否定できず、やっているふりをする。

アドラー心理学は理想論でなく大変勇気がいるし実践のしがいのあるものだと思います。
ここらへんもインプロに似てる。

どれが正しいとか間違っているとかでなく、ワタリはそういう考え方が好きだな~って思うし、納得できる。感情的にも理屈としても信じられる。

まだ全然アドラー心理学の入口あたりにいる新参者ですが、もっと深めていきたいと思っています。

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