20190323(土)
この日、イチローが引退した。
ニュースはそれでもちきりだった。
野球のことがてんで分からないワタリが唯一好きな野球選手。
高校の修学旅行のとき、宿泊先の受付のおばちゃんからふいに
「あんたイチローに似てるな〜」と言われてから、今まで。
要所要所で「似てるね〜」って言われることがある。
だからというのもあるのだろうけど、そうじゃなくても
勝手に近しい存在と感じていたし、なにより、あの身体の使い方、思想に刺激を受けた。
身体に興味をもっていろんな本を読んでいくと、イチローの名前がよく出てくる。
いま、この現代で観ることができる達人の身体。
野球の試合をずっとは見ないけど、イチローが出てきたら、すごい集中力で観ていた。
活躍している時も低迷しているときも、TVの向こうにうつるその姿に元気をもらっていたし、応援していた。
ただただ、自分のやれることをやり続ける。
自分の身体を磨き続ける。
身体も心も美しく軸をもっている。
人間の身体ってあそこまで使えるんだ!っていうことを体現している人。
畑が違えど、勝手に自分を投影して、勇気をもらっていた。
そんなイチローが引退した。
試合後の会見。
記者に対しての受け答えも非常に興味深い。
正面から聞く。そこからしっかりと応える。それは応えないというのも含めてしっかり応えていた。
始まりがあったら、いつか必ず終わりがある。
いつまでやれるのか?どこまでやれるのか?
いつかくる「終わり」に向かって、どう生きていくのか?
イチローが引退する姿を見て、
意図的に想定内の中で、「落ちをつけて」終わらせた即興のシーンと
無我夢中で演じて、「その瞬間に見つけた」エンディングの違いを思った。
全然違う質となる。
後者のエンディングはもう皆が拍手するほどの力があったりする。
一生の記憶に残るような力がある。
エンディングは作らない。見つけるもの。
それは先が分からない中で、やることをただただ夢中に、ひたすらに、一瞬一瞬生ききって、やり続けたからこそ見つけることができるエンディング。
イチローは間違いなく、やりきった人。とことんの人。
人生も、また人生の中で迎える色んな終わりも
その渦中で見つけ、そうか、今か。
と、気づき。迎える。
その理由はどんなものであれ、
「そうか」
と清々しく言いたいなと、
イチローの姿を観て、思った。
イチロー。ありがとうございました!
ワタリも、ただただやりたいこと、やるべきことを、やり続けます。
Photo by Eduardo Balderas on Unsplash
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