今日のモーニングページの出だし「本日は京都精華大学ラストデイ」と書いた。
あくまで「今期の」って意味だったけど、その字を読んで「いつかくる本当のラスト」に思いを馳せた。
その時のワタリは何歳でどうなっているのだろう?
生徒といい関係を築けているのだろうか?
そんな心配をしている自分もおかしい。
「一喜一憂せず、対処しないといけないことがやってきたら人のせいにせず、アイディアを出し、工夫して対応する」いつだったか忘れてしまったけど、そう決めた。
「今どきの学生は」「大学生だから」などとレッテルを貼って、向こうの責任にしても改善されることはなく。
たたただ生徒たちが成長するような種を渡すためには?の目的を達成するべく、問題があれば工夫して改善する。
それを粛々とやり続ける。
そんなマインドになったのは内田樹さんのコラムだったかな?ネットの記事で読んだことに感銘を受けたからだ。
もしかしたら検索したら残ってるかもしれない、と思って調べてみたけど、見つけられず。
「授業でメモを取らないどころか、筆記用具も持ってこない学生が増えていることに対して、『筆記用具を持ってきなさい』と言っても聞かない。ここで相手のせいにしても仕方ない。次に取れる行動は鉛筆を毎回用紙して『筆記用具ない人はここにあるから取りに来て』と言う。当たり前のように鉛筆を取る生徒たち。ただ、それを繰り返していくと鉛筆返却時に『ありがとうございます』と言ってくる学生も現れる。」
内容としてはそんな感じだったと思う。その中の「思考停止せずにアイディアを出して工夫し続ける」姿勢に感銘をうけたのだった。
ついつい「いや、なんでそこまでしないといけないの?」とか感情的になって、それ自体が嫌になっていくことってある。でも、こうやって粛々とやり続けるっていうことも大事だなと思った。
一喜一憂する。それはそれ自体が大事だったり、こだわりがあったりするときに起きやすい。
なので一喜一憂自体がダメっていうことでもない。
だけど、そうなると余計な主観が増えていって自分がやっていられなくなったりする。
結果、目的にたどり着けなかったり、自分の能力を使っての貢献ができなくなってしまう。
なんてことを考えたときにパフォーマンスも同じようにできたら良いのかもなって思った。
あまりに大事なこと、好きなことは主観になってしまう。
ひとつひとつに激しく消耗してしまう。
そうなると続けることが困難になってしまう。
ワタリのヒトリワタリは7月以降は決まってません。
でもこのあたりの考え方で動き出せるかもしれないな、なんてことを思っています。
激しく消耗して止めるのも、工夫して続けるのも自分。
どう生きたい?とまた問う。
で、どっちの自分の大事にできる第3のアイディアが出る。
そうやって自分を大事にしつつ、だからこそこの世界に貢献できるような状況にしていこう。
さ、今日も今日とて大学でやってきます。粛々と〜情熱的に〜。
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