1日の使い方ってこれで合ってるんだっけ?
そんな疑問をしっかりと言葉にしたのは初めてかもしれない。
少し前から体調を崩し、少し自分に休む時間を与えておりました。
そんな中で取り立てて外に出たり、人に会う用事がない日々が2日ばかり続きました。
そんな日も普段と変わらずに朝起きて(少しだけ遅めにした)、思考の書き出しをして、筋トレをして、
TODO書き出して、優先順位決めてそれにかかる時間を決めてタイマー君を使ってどんどんやっていく。

実際にタスクは相当量こなせるようになっている。
で、気がつけば夜だ。やるべきことをやって1日が終わる。
そんな1日の終わりにふと自分の中に去来した疑問。
1日の使い方ってこれであってるんだっけー?
そんな疑問が出るってことは、だよ。
あってないから出てるんじゃない?と。
やるべきことをやってるのに?
そう思った刹那、自分の中の新しい知識が顔を出す。
「やっていることの8割はあなたがやらなくても良いこと」どどーん。
そうパレートの法則っていうのがあってね・・ってこれはまた別で語る(か、グクってね。いや、あなたのChatGPTちゃんに聞いてみて)。
さて、昨日で言えばワタリじゃなくてもできたことってなんだろう?と取り出してみる。
ネットショップSTORESの修正。ライブのチラシ入稿と・・。
あとは・・あれ?あとはブログ・・・は自分がやるべきこと。
昨日のタスクは14個あった。
その中で、本当ならばワタリじゃなくても良いやつは・・2つ?
かなり良いじゃん。なのにだよ。
なのに、なんで「これで合ってるんだっけ?」ってなったんだ?
より自分の中を探ってみる。
そこで出てきたのが
昨日のブログにものすごい時間がかかったんだ。

サムネも合わせると2〜3時間かかった。
じゃあ時間はかかったけど満足したのか?っていうと・・んんんん〜っていう感覚がある。なかなか自他ともに良いねっていう記事は書けないものだ。
そこでワタリは「記事の内容」についてのダメだしをし始める。
ややこしい頭の中は以下↓
もっとコミュニケーションに特化させて、もっと読者に読みやすいようにして!っていうのは、インプロで言うところの「相手をイエスして!」っていうのと似てて、どこまでそれをやりたいのか?って話になっていく。
イエスするのがやりたいのか?っていうか、それをしていることで見てる人が楽しんだり笑ったりするから良いって話なんだよな。
見てる人、読んでる人が笑ってて、それをやってるワタリが好きっていう話。
目的はなにか?ってことよ。読んでる人が楽しんでいて、それを書いてるワタリが好き。そんなブログが書けたら最高よね。でもそれがためになるコミュニケーション術!とかになると違うんだよなぁ。
自転車に乗れ!という記事は滅多に書けないほどの満足感があった。そして反響もあった。
ワタリはどんなブログ(自転車)に乗りたいんや!?って問い続けている。
一番危ないのは書かないで「どんなことを書きたいんだ」ってなってる状態。
それは脱してる。
書きながらどんなんが書きたいんや!ってやってる。
そんなことを書き出しててわかった。違うって。
仕上げが甘かったんだ。
「アンケートを全編公開する。それに感想を添える」
このアイディアを形にすることになかなか時間とエネルギーを費やしてしまったがゆえに、最終的な仕上げが甘くなった。
最近ハマった韓国のテレビ番組「白と黒のスプーン」では巨匠たちが料理対決をする。
料理自体はもちろんこだわるが、もうひとつ大事なのは最終的な仕上げ。
お皿のうえにどう盛り付けるのか?
丁寧かつ繊細に乗せる人もいる。あえてワイルドに盛り付ける人もいる。
そこで世界が作られる。
文章も同じで、
書き切ったあとに、読み返しながら、ちょっとしたニュアンス、語尾などを修正する。
文体を整える。
タイトルを練る。
それにあったサムネを考える。
昨日はこれらができずに、「もう・・これで!」ってアップした。
頑張って時間かけて料理したけど盛り付ける時間がないし、しんどいよ!もう!あ〜ここにあるお皿でいいや!って
バーンッ!て乗せて出した。
で、自分の中で、無意識の領域でわかってるんだ。
「これはあまり読まれないだろう」って。
でも意識の部分では「頑張った〜!楽しく読まれると良いな!」ってなってる。
で、当然ながら、反応がない。読まれない。
で、もっとも良くないのは
ざっくりと「あ〜あんまり良くなかったな」ってなって上のような思考「中身が〜」になっちゃうってこと。
「もっと面白いのを・・!」とか意気込んだり「そもそも私は何が書きたいんだ・・」とか悩んだりして
もっと時間を浪費してしまう。
諸悪の根源。
内容は別に良いんだ。
問題は仕上げだった。
なのに、振り返りが甘いと、
間違った判断を下しかねない。それはめっちゃくちゃもったいない。
どう書くのか?何を書くのかは自由だ。
でも、最後、世に出すときに
一回見直してみよう。
「これで良い?」と自分の中の編集者に聞いてみよう。
編集者も自分も「良いんじゃない?」ってなれば
結果はどうあったとしても満たされる。
そんな自分にとって大事な気づきだったんだけど、
どうやって「違う!中身が問題なんじゃなくて仕上げだ!」っていうことに気づけたかっていうと
毎日自分の思考をa4用紙3枚に書き出して、毎日ブログを投稿してるからだなって思う。
日々のワークショップでいろんな人の思考を掘り下げるお手伝いをしているからだと思う。
だから、自分の違和感・・「なんか・・中身とか言ってるけど、まてよ・・違うぞ〜なんだ〜」って掘っていける。
あとは納得いかなかったら、また修正していいのだ。ブログはそういうものだ。
だから、昨日の記事も修正しようそうしよう。
振り返りをすることと、やり続けることによって、細かくなっていく。
細かくなっていくと細部にまで意識できるようになる。
そこに「神」はいる。
そこに自分の本当がいたりする。
ワタリのワークショップは、そんな自分に細かくなっていく練習です。
自分自身に本当に気づいていくための面白ワークショップ。
ぜひに遊びにきてね。(なんか最後いつも宣伝してる!)
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