「風邪は浄化作用だ」という知識を得た。
そう考えると、有り難いものとして受け止められる。
「鼻水や痰が黄緑色なのは自分の中の白血球や免疫細胞が闘ったあとの死骸」という知識を得て、
今まで「あ〜ウイルスにやられてるなぁ」というがっかり感が「闘ってくれたんだねぇありがとうねぇ」となる。
こういう、視点が変わるようなことって何ていうんだっけ?とChatGPTに聞くと「それはポジティブリフレーミングですね」と言ってきた。なんだそれ?
絶対に違う!みたいな気持ちになったのが面白い。
ポジティブリフレーミングをポジティブに受け止められないのはなんだろう?って考えると
自分の中にあるものを言葉でなんていうんだ?って探っていった旅に着いた先が外国の全く知らない人の家だった。
くらいの違和感があった。知らない人が「あ〜コンニチワ!」って言ってる。元気な感じで。

別に悪い人じゃない。でも違うの。いま行きたかった場所はここじゃなくて!日本語でなんて言うんだ?って
調べたら、
「智慧」だった。

知識を体験に落とし込むのが知恵。
それを悟りのレベルにまでいったのが智慧。
「デモ!あなたのやつはポジティブリフレーミングデスヨ!」
うん。わかる。
ワタリの気付きは限りなくそうだと思う。
でも、聞いたこともない言葉を「はい、そうですね」とはすぐに腹に落とせない。
そんな感覚があるのが面白い。
知識・教養、知恵、智慧。いろんな言葉があって、どれもちょっとずつ違うんだ。
だから、できるだけ正しく使いたいやんね。ブログを書くものとしては!
先日から読み始めている「独学大全」。かなり前に買ったけど、当時はまったく読めなかった。
でも今はかなり言葉が入ってくる。
「本は買うのも読むのもタイミング。読まなきゃ!ってあまり思わずに。そのときはそっと置いておこう」
そんな考えができるのも知識を知恵に引き上げてる証拠とおもう。
いずれにせよ、自分が良く受け止められて自由なり感謝の気持ちを持てることが良いなって思ったんですね。
ものごとの受け取り方、この世界をどう見ているのか?で、180度変わることがある。
その知識を信じるか?の判断は?
それこそ、腹に落ちるかどうか?だと思う。
頭でばっかり考えてると腹に落とすことも、腹を決めることもできなくなってしまう。
人は脳で考える前に実は腸で考えていることが分かってきている。
それを感覚的に知っているから「腹に落とす」「腹を決める」などの言葉が日本語にあるんだろう。
情報が多い時代だからこそ、大事にしたい。感覚すること。腹で考えること。
コメント