ワタリがブログ人生20年(ぎゅっとしたらたぶん8年)の中でもっとも赤裸々に綴ったインプロと人生の話「イエスのキセキ」。想像を超えてたくさん反響がありました。感謝。
一万文字以上にもおよぶ大作にも関わらず想像を超えてたくさんの方に読んでもらえております。
あのとき色々な想いをしたワタリーボウヤも喜んでおります。
読んでくださった方、感想をSNSに投稿してくださった方や、ワタリに直接メッセージくれた方も本当にありがとうございます。
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今日は記事を公開してからのワタリに起きた色々について語ります(これはきっと長文じゃない)
自分のよわーいと思っている部分を改めて言語化して公開したあとにやってきたザワツキからの大いなる安心感について
自分の中にあることを表に出す。
中にあるときは「なんとなく」でしかないものが、目の前に出してみると実にハッキリする。
今回記事を公開しつつ、あらためて思ったのは
そうだった。ワタリは本当に、ビビり。
ってことでした。
知らない人と話すときは今でも汗だっくだくになるし、知らない場所にいくと場所見知りするのか顔真っ赤になるし、なぜかお腹も痛くなる。
また小さいころ。小学生のときかな。一人で歩いてて前に誰も歩いてないと「自分で歩くスピードが合ってるかどうかがわからなくて不安」という精神状態になり、「妙に遅い気がする」となってもう競歩みたいなスピードで歩きだしたり。(※これはビビリとは関係ないのかもしれない)
それを実感したときにある記憶が蘇ります。
2022年に大分県は佐伯で開催されたイベントに渡猛、熊谷拓明(ダンサー)、原田茶飯事(ミュージシャン)で構成されたチーム「文言トリオ」で出演した時のこと。
構成としては一日かけてそれぞれのソロをやり最後は文言トリオで即興するというもの。
それぞれのソロを見届ける流れでワタリの出番がやってきました。
お客さんが会場に入ったころ、楽屋にいるワタリを見て熊谷拓明が言いました。
熊 谷「いやさ。何が凄いってさ」
ワタリ「・・うん?」
熊 谷「君みたいなやつが即興やってるってのが一番すごいよね」
ワタリ「え?なになに?」
熊 谷「僕はさある程度セリフが決まっていたり流れが決まってるから『あそこをもっとこうしたら・・』とか考えて緊張するとかわかるけどさ」
ワタリ「うん」
熊 谷「君は完全に即興なのに。さっきからずーっとウロウロしてさ。緊張してるじゃない。緊張したってしょうがないのにさ」
ワタリ「・・!」
熊 谷「性格的には即興にむいてないやつがさ、いざやるとさ、すごい即興するんだからさ。変なやつだよ君は(笑)」
あのときは「君、それ本番前の人間に言うやつじゃないやつだぞ!」とか言ってかわしておりましたが、でもこれが真理だなと。いま物凄く腑に落ちています。
本当にビビリだと。ビビリちゃんだと。
そんなやつが何も用意されていない台本すらない中でステージに立って即興で芝居するって!爆笑!
自分でも意味がわからないわ〜って思います。
過去をじっくり振り返ったから気づけた「自分の性格」と「自分の能力」の統合の仕方
昔はものすごい抗っていたな。
そんなビビリワタリを改めて認識したときに思い出したのでした。
上京したての頃のノートは「これじゃダメだ。なんでビビるんだ!もっとしっかりしろ!やれよ!いけよ!」みたいなことで埋まっていた。情けない、女々しい、ビビリ、そんなワタリじゃ絶対ダメだって信じてた。
だから今思えばものすごく無駄な力が入ってる。自分を大きくみせることに一生懸命だし、不安を隠して平気なフリをしてた。
いまはビビリな自分を「そうだね。ビビるよね」と隣に置きつつも「でもやるって決まってるから。いこか!」とビビリとともにいけてる。これってどうやって一緒にいれるようになったんだろう?って改めて考えてみたら、ざっくりと3つほどポイントがあったので紹介してみます。
仲間との出会い
抗ったり虚勢を張ったりしつつも一生懸命なワタリを信頼してくれる仲間がいた。ワタリよりもワタリを信じてくれている人が。
時に情けないワタリを「かわいい」とか「面白い」とか思ってくれる人もいた。
そんな人たちのワタリへの態度をみて「・・そうなの?」と、ワタリはワタリを少しずつ許すことができていった。
インプロ
インプロはそのまんま今の自分が顕になる。
隠すことはできない。
隠してても透けてしまう。
自分を受け入れる、許す、認める。そういうことができていない自分だったらそれがそのままプレイに現れる。
だからインプロをやることは等身大の自分自身、ままならない、どうしようもなく器が小さくてイビツでポンコツな自分を見ることになる。目を逸らすことは可能。でも、それをしなかったし、それができない環境に身をおいた。
とにかくノートに書いた
そんな自分をノートに書きなぐった。
自分の中のものを外に出して文字化する。
そうすることで少し落ち着いて見ることができる。
あるときそれでも自分が収まらないときがあった。
そのときに生まれたのが「インタビュー形式」だった。
ワタリの場合、関西人なので答える人は関西弁。
インタビューする人は標準語で分けた。
「ワタリさん今日はどうしました?」
「ほんまにどうしようもないわ!」
「荒ぶってますね~」
「あんな~」
みたいな感じで書いていく。
インタビュアーは名手。カウンセラーみたいな存在。
相手の感情はうまくよけつつワタリが落ち着いたときに「どうしたいか?」にフォーカスしてくれる。
これはかなりうまくいった。
しかしまたあるとき、それでも収まらないときがあった。
インタビュアーでも手に負えないくらいにネガティブで愚痴愚痴いってるワタリが出てきた。
そのときに突如現れたのが
「超激昂ワタリ」だ。
「うるっっっっっさいんじゃー!!!!」
「愚痴愚痴言いやがってボケがー!!!!」
「さっさとやれ!とにかくやれ!やるだけやろ!アホーーーーー!!!!」
とインタビュアーとワタリの発言の上に大きく書きなぐった。
震え上がるワタリ。インタビュアーも(笑)
激昂ワタリ。
感情的というよりはもう圧倒的な力で進ませるやつ。
そしてもうひとり、それをペンを持って書いているワタリがいる。
そうやって自分の中のワタリを分けて考える。
分けるから分かることがあるって本当だ。
そんなこんなで落ち着いた。
こういうことの連続で
「ビビリワタリ」と「人を楽しませたい」というワタリが統合されていき、どちらも殺すことなくまるっとワタリでいられるようになりました。
だから「ヒトリワタリ」がやれるようになったんだと思います。
仲間との出逢いは本当にラッキーです。
これは自分だけでコントロールできないから、とにかく探し続けるしかないし、きっと必要なときに現れてくれると思う。
あとのインプロとノートに書くはワタリ的に超おすすめです。
ノートに書くことについてもう少しだけ詳しくさせて
「イエスのキセキ」を読んでくれた感想で、幾人か「読みながら自分の過去を遡りました」とメッセージをくれた人がいました。
それも見たくない自分の部分を見る機会になった人もいたようです。
そのとき、文字にすると良いですよって思います。
自分の中は見れないので、見れるように目の前に出してあげると良いです。
漠然と不安だったものが明確になったときに案外「え?そんなこと?」ってなるときがあります。
またはもうクリアしてたやんか・・なんでこじらせた?みたいなことも。
「人間は自分の中を見れるようにはできてない。心臓がどう動いているか?血がどう流れているか?自分の顔ですら見れない。外を見て感じるようにできてるんですよ」
みたいなことを養老孟司さんが言っていて本当にそうだと思う。
だから中のものは外に出す。
完璧に言い表そうと考えるとしんどいので、感じてる考えてることを30点くらいで出せたらいい感じ!くらいのハードルで。
日記調でも良いし、箇条書きでも良い。
やってみてください。よければね!
そしてもう一つのオススメのインプロはぜひワタリのワークショップに参加してみてください。
どうか逢いにきてください。
詳細はこちら
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もちろんLIVEでも!!ヒトリワタリやロクディムやマツリLIVEでね!!
(長文じゃないって言いながら・・w)
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