最近の日記的なやーつ

ボイトレの即興も自分の癖を見つめて修正していき、自然なる自分になるためにあるのかもしれない

ボイトレに行き始めて5ヶ月くらい経っている。
月に2回しかやってないけど、一回一回がとっても楽しい。そしてそれをすぐにLIVEなどの実践で試せるのも良い。
声はワタリの中で大事なツール。
ボイトレに通ってて良いなって思えることの1つは、自分の癖に気づけること。
本来の自分の体が、楽で一番鳴るところで出しているのではなくただただ癖でやっている。喉に負担もかかるし、自然じゃない。先生いわく「ほとんどの人が自然じゃない」という。その癖のはじまりはちまたにある「もっと腹から声だして」という言葉。その言葉のイメージが間違った癖になっているという。
もちろんそれだけではないだろう。でも一つの言葉のイメージと、それを伝える人の技量によって癖だらけの身体になってしまうことがある。
あとはその人の性格やら人生で起こった出来事でも声は変わっていきそうだ。ワタリの場合は声がこもる。それは前に音を出さないようにしてきたんだと思う。気を使って人を不快にさせないように声を飲むような発声をしてきたんだと思う。かわいいやつだ。
ボイトレに通うことで改めて自分の声を見つめて「じゃあ自分の自然とは?」ということを探究できるのが楽しい。
そしてこれはまんま即興のワークショップでやっていることとおんなじだなって思う。
考えるから自然でなくなる。力むことで自分の自然から遠のく。思考の癖が本来の良さをなくしていく。それが声一つとっても同じことが起きている。
どうやったらもっと楽に自然に楽しく音を鳴らすことができるのだろう?
とにかくやるのみ。やってやってやっていくと少しずつ実感としてわかることがでてくる。
昨日、風呂場で歌っていて今までに出なかった音が出た。これがまた嬉しい。偶然鳴ったんじゃなく自分の意思で出せるように鳴らしていきたい。

利点やら都合やらあるけど一番は「これが好き」ってことなんかと

ふと家にあるギターを手に取る。
コロナ禍になってもっぱらウクレレを触ることが多くなっているけどふと「やっぱりエド・シーラン好きだなぁ」と思い、彼の影響で買ったマーティンのトラベルギターをポロンポロンと弾いてみる。楽しい。でもなにか違う。ギターの腕前が違うのは当然。でも音がそもそも違う気がする。気になって調べる。彼が主に使っている弦は??と。あまり載ってないから海外のサイトで知らべる。あった。なるほど。これね!(Elixirのライトだった)ということで購入。あの軽くて明るい音がでるのかな?と楽しみになる。
思えばコロナが来る前まではこのギターでロクディムのツアーとか回っていたなぁ。
いまはウクレレ。
ウクレレのほうが軽くて小さい分持ち運びが便利。
あと、ウクレレにたいする期待値がギターよりも小さいからそんなに上手じゃないワタリにとってはとっても良い。
そんなこともあってウクレレにしているけど、だからといってウクレレ縛りにする必要もない。
と、ちょっと縛っている自分に気づく。
ギターが良いならギターを弾いたら良い。ウクレレもギターもどっちも好きならどっちもだ。
頭で考えていろいろ決めているときがある。
でもワタリにとって一番大事なのは「それがしたいかどうか」だなと思う。
今日新しい弦が届いて張り替えた。気持ち良い鳴り。
アンプに繋いでみて果たしてエド・シーランに近い音がでるのか明日試してみよう。

ロクディム別府公演「ロクディムにわか2023」まで残り15日!
「愛媛をヒトリワタリ2023」まで残り20日!
即興の祭典「IMPRO JAM」まで残り27日!

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