体現なきところに「実」はない

即興で笑いをつくる。笑いを起こす。
また、嬉しい、楽しい、幸せな空間をつくっていく。
それにはそれが起きる必然となる仕掛けが必要だ。
それは空間装飾のことでもあるしBGMのことでもある。
しかしなによりは、自分の身体がそうなっていることと、集団でやる場合は共演者どうしの「関係」がそうなっていることが大事だ。
気を使ったり、うかがったり、飲み込んだり、無視したり、押さえたり、恐れたりする関係はその対極にあるものだ。
またそれは「仲が良い」だけでもダメだ。
センスだけでもダメだ。
共にどうなるのか分からない世界の中で協力、呼応、刺激、開拓しあう関係づくりが必要だ。
またそれが大事だという共通認識が必要だと考える。
逆に言えばそれがわかっている人であれば時間はそこまで必要ない。

日々、トレーニングしているかどうか。そういう環境に身をおいているのかどうか。そうじゃなければ、日々自分が意識的にしても無意識的にもさらしてる身体が「癖」になる。事なかれ主義な日々であればその反応が最初に出る。
どこまで自分を磨けていけるのか?具体的に積み重ねているものがあるかどうか。
イベントとして刹那的にやるのであればなんでも良い。あまり関係ない。
そうじゃないのであれば。だよ。
だとしたら、答えみたいな聞こえの良い理想でも理論でもなく、どこまでも「体現者」になること。
て、その体現っぷりに感動したり尊敬しあった人たちと共に真摯に探究するのが良い。だから兎にも角にも「体現」や。それは日々、やったのか?やってないのか?やり続けてるんか?それだけだ。
もっとどこまでも自分を全うし遊ばせていき、遊び合う世界をつくっていくために。

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