心からワクワクしている状態で、心から関わっていく。
即興の基礎。
「受け入れないといけない」「ハッピーでないといけない」という「〜しないといけない」という世界では感じられないこと。
基礎でありながらなかなか体現するのは難しい。
言葉じりだけ受け入れることでは決してない。
相手と一瞬一瞬いながら、1つ1つの言動を大事にしていく。
自分のことを守っていたらできない。自分の常識をメインにしていたらできない。
一瞬一瞬を大事にしていく。
ワークをしていくと、いかに普段「自分が」を中心に生きていっているのか気づく。
で、それが分かるのが稽古であり、ワークショップというもの。
できないがダメというわけでない。
まず、できていない自分を知る。が大事。
しかし「自分はできている」ということからスタートしている人が多い。
そういう人はまずできていない自分を観たくない。だからできていないことを認めない。
なんとなくできてる風を装う。もしくは「できなくても良いよね」と言い訳をする。
「できていない自分」を受け止めることは、人によってはとっても苦しいことなんだと思う。
でもその苦しさと向き合って、素直になって、物事を捉えられるようになると、自然な自分が現れる。
良くない自分を厳しく罰して、良いところばかり出すことに必死になることをやめる。観念する。
まるごと見る。自分をまるごと見て、その全くもって完璧じゃない、丸じゃない歪な自分を笑えたら良い。
そしたら、全体が機能する。自分の全体が動き出す。自然になる。
基礎。大事な基礎。何年かかっても見ない人もいる。数時間で気づき、受け止める人もいる。
ただ、皆が一生懸命、全力で、関わり合っているのはとても素敵だ。美しい。
囚われていても、できるもできないも、良い悪いも全部。
必死にさらけ出して関わり合おうと試みること。その過程が素敵だと思う。
あと、また別で「できてない自分」に執着して、できたことを見ないっていうのもある。
即興で物語創って、共演者もお客さんも嬉しい楽しい時間だったのに「いやダメだった」「全然変われてない」なんて言う。
ありのままを見ないようにしてる点では同じこと。
どうでなきゃいけないとは思わないが、その考えによって自分が向上するのであれば良いが、そうでない、何も進ませないのであれば間違いだ。と、ワタリは思う。
間違った考え。思考パターンだと思う。
じゃあ、この回路をどう変えるか?
その回路を理解して、それが自分にとって不都合であれば、とにかく良い思考回路を作るべく
とことん全力でやるべきことをやるしかないのだと思う。
もう今の自分でやり切った!!となった時に素直になり、受け取れるんだと思う。
そうじゃないうちはまだ自我の中。余裕をこいているんだと思う。
下手な考え休むに似たりどころか、休ませてももらえない。下手の余裕は地獄に似たり。
全力でいく。やりきる。
体感するしかない。身体を動かせて働きかけるしかない。
その中で見えたものを掴んでいく。実践の中で、関わりの中で学んでいく。
そういうワークショップがワタリーショップなんだと最近わかってきました。
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