書けてなかったインド旅行記
去年、インドにいったことリアルタイムでメルマガで伝えていたり、
近しい人には口頭であれこれお伝えしているけど、ブログでは全然書けていない。
ワタリ自身が追いついていなかったということと、「どうやって言葉に?」という躊躇というか、言葉にしてしまう怖さみたいなものがあったように思う。
もしかすると言葉にするとなんともペラッとしてしまう可能性もある。
変に誤解を受けてしまう可能性もある。
なんていう言い訳を並べて重い腰を上げないようにしているだけという説も、ある。
しかし、最近「書いてみたら」という感覚がするので、じゃあ気楽に書いてみようと、思っている。
書くことで、また自分自身で、この旅がどういう旅だったのかを知ることができるかもしれない。
ということで、写真や動画の整理をしつつ、ちょいちょい書いていこうと思います。
インド旅行記〜0〜
そもそもインドに行こうと思ったのは、何年も前からお付き合いをさせていただいているヨガ行者の奈良さんからの送られてくるメルマガからだった。
メルマガには「第1回『神様に愛されるインドツアー』の企画が決定いたしました」とあった。
まず「インド」という言葉にピンときた。
だいぶん前からなぜかインドには興味があった。
でも「興味がある」と「行く」の間にはそうとうな距離があった。
興味はあれど、お腹も皮膚も弱いワタリにとっては、なかなか行く!っていう感じにはなれない場所であった。
しかし、身近な存在である方からのお誘いがきた。ピンときた。ドキドキした。
メルマガにはこう書かれてあった。
『私が今、「神はいつも私を支えてくれている」という幸せな意識で生きる事ができるのは、インドで神様の大きな懐に包まれた体験をたくさん重ねたことが元になっています。
あらゆる教えや聖典では「神は至る所にいる」と伝えられ、私も「あなたのハートの中にいる」といつもお伝えしていますが、日常を生きていると、そうは感じられない時もありますよね。しかし1度強烈に「神様と一緒にいる」ということを体験すると、日常に戻って孤独を感じることがあっても、「神と共にいる、1人じゃない」ことを思い出すことができます。
今回訪れるインドの聖地・シルディ村は、偉大な聖者「シルディサイババ」が生きた地です。私の中から平和と赦しのエネルギーを引き出してくれた、1番お世話になっている聖者です。
シルディババの意識を通じて神様の愛が降り注ぐこの地には、インドでも最も多くの人が参拝に訪れ、人々の祈りの力とともに、神の純粋なバイブレーションが、今なお時代を超えて強烈に存在しています。
ここは、訪れるだけで癒される、村そのものが空の意識の磁場(=イヤシロチ)なのです(#^.^#)
この地では日本の何百倍も 神様を感じ、神様と共にいることを深く感じることができるでしょう。』
「神様」とでると人によってはもう怪しく感じるのかもしれない。
か、ワタリは奈良さんとする対談「ナラワタリ」も企画する関係だし、ここに書かれている感覚というのは即興で遊戯するときに(または演技するときに)身を捧げる感覚を体験した人ならそんなに変に感じないのでは?とも思う。まぁ少なくともワタリには違和感がないのですね。
またきっとインド旅行記には「神様」とか「サイババ」とか「あの方」とかそういう言葉が普通にでてくるかと思います。「おでん」とか「うどん」とかもうそれくらい当たり前のこと〜くらいに受け止めてくれると読みやすいかもです。
またインドで知らない人はいないと言われ、死後100年たった今でも毎日のようにインド中から礼拝にくる人が耐えないシルディ・サイババという大聖者や、村そのものが強烈なパワースポットになっているなんて、逢ってみたい!体験してみたい!と強く思った。
そしてその経験は今後の自分のあり方やパフォーマンスに影響がとてもありそうだし、必要な感覚がした。
ということで、ツマミちゃんにも相談し、「いってみんちゃい!」と(ツマミちゃんはすでに平和と赦しのエネルギーをもっている)快諾され、行くことを決意したのでした。
メルマガが送られていくのは5月。
インドに行く日程は10月の終わり。
決意はしたけれど、まだなんだか実感のないものだった。
しかしながら、目の前のやるべきこと、やりたいことに追われているとあっという間に月日が経っていき、
当日になったのでした。
続く。
興味ある方は「ナラワタリ」の動画も最後に貼っておくので見てみてね。(ナラワタリ2や3もあるのだけど、ワタリが編集できておらず・・必ず出します!)
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