こんにちは。
即興遊戯者・ワタリ(@watari_bouya)です。
僕が都内で定期開催している即興ワークショップ「ワタリーショップ」のことについて。第5弾目は「正解」について。
投稿が見つかりません。世間代表アドバイザー・正解くん
即興で芝居をする時に大事なことの1つとして「自分で閃いたこと、感じたこと、発想したことを表現する」ということがあります。
その前の段階で自分が何を感じているのか?何を叫んでいるのか?という「自分の声」に気づくというのがありますが、それは「#003 自分の声はどこですか?」に書きましたのでそれも読んでくれると嬉しいです。
自分の声を知り、それを楽しい心で表現する。しかし、それを邪魔するやつがいます。
それがいわゆる「正解」というやつです。
即興で芝居中、閃きをキャッチして、それを表現しようとする時に
「それって正解?」
と聞いてくるやつ「正解くん」。
そもそも正解なんてものが明確にあるわけじゃないんです。
でも、正解くんはどうしても正解を探させようとします。
「それで大丈夫?」
「それで本当に大丈夫??」
「それいらなくない?」
「物語の邪魔にしかならないんじゃない?」
「バカなんじゃない?」
「ダサくない?」
「ねえ、それで本当に大丈夫なのかって??なのかってばよ?」
「世間様に恥ずかしくないのか?ってばよ!」
と、一瞬で責め立ててきます。
また、閃いたものが具体的であればあるほど、その責め立ては強くなるようです。
なぜなら具体的に表現することはより「正解」「不正解」の判断になりやすいからです。
その人のセンスや面白さを問われたり、相手にも自分にも影響を及ぼす可能性があるからです。
正解くんは、他者や世間から外されるような評価をくだされることを異常に怖がります。
「変なやつ」
「つまんない」
「ダサい」
「情けなー!」
正解くん「そんな評価を絶対にされてはいけない!そんな評価をされたら死んじゃうよ!」
実際には死にませんが、正解くんは本気でそう思い込んでいます。
正解くんは必死です。
「皆が「ちゃんとしてる」「間違ってない」「邪魔してない」「悪くない」と思うようなものを出さないとダメー!」
その声の強さにより正解くんの理想とは遠く離れたところにいる本人は、どうしても素直に楽しく自分の表現ができなくなります。
結果、他者(世間)からの評価で殺される前に、自分で自分を殺すことになります。
「死ぬ」なんて言葉が強くて大袈裟かもしれませんが、ある意味では「死」です。
自分のやりたいことを知っているのに、自分の閃きを感じているのに、それをこの世に出さないことは、ゆっくりと自分で自分の人生を台無しにしているのと同じことと思います。少しずつ息ができなくなっていく感じに近いように思います。
正解くんは、その場にいるチカラの強い人の答えっぽいものに添い始めたり、世間一般的な「答えっぽい」もの、もしくは自分の喜びとはまったく関係ないものをこの世に出させようとします。
たくさんの「答えっぽい」ものをかき集めて、体に貼り付けていきます。雪だるま状態になるまで貼り続けます。
正解くん「よし!困ったらいつでも貼り付けた答えを使っていいかんね!」
雪だるまにされたプレイヤーは、体が重く不自由で、息も切れてる状態。
その中で、即興をすると、共演者の提案を受け入れ対応することは至難の技。
また共演者の提案が答えっぽいものに当てはまらなかったら巧みに否定したり攻撃したりします。それも正解くんの仕業です。
正解くんを不正解と判断しないこと。共存する方法とは?
ただ正解くん自体が悪いとはワタリは思いません。その判断もまた別の正解君を創り出すことになるし、彼が必要な時もあると思います。
ただ、良くないのは彼に舵を取られ続けること。主導権はこっちにあることを教えてあげないといけません。
彼は危険を知らせてくれる良いアドバイザーくらいの位置にしてあげたりすることもできます。
もしくは彼はただただ怖がってる子供の時もあります。そのときは、隣に座らせて「どうしたの?」って話を聞いてあげる時間を作ってあげる。聞いて「大丈夫だよ」と言ってあげる。
正解くんは安心します。
安心するとそんなに大きな声で言ってきたり、貼り付けてきたりしません。
選択権は自分にあり、正解くんと共に生きる道を探し続けることは大事です。
そうすると、静かで穏やかな状態がやってきます。
その中で、正解くんに「じゃあ、いってくるね」と告げて、勇気をもって今に飛び込む。
自分から生まれたもの、湧いてきたもの、感じたもの、発想したもの、それをこの世に表現する。ただそれだけ。
相手から来たものを受けて、生まれたもの、湧いてきたもの、感じたもの、発想したもの、それをこの世に表現する。ただそれだけ。
その一瞬一瞬がある。それだけ。
正解か不正解か?
正しいのか間違っているのか?
格好良いのかダサいのか?
最高なのか最低なのか?
それは、時代、国、世界が違えば変わること。
言いたい人は言うだろうし、生きてるだけで批判される時もある。
どう思われるか?は外の世界が勝手にやること。それは外の世界に任せておこう。
自分の真ん中にあることとは関係ない話。
自分は赤ちゃんの時のように物事を新鮮に感じて、子供のときのように無邪気にはしゃいで、大人の思いやる心をもって、そこにいる人達とただただ遊ぶ。
自分が想像したことをこの世に表現する。それを伝えて喜び合う。
その、人と人の間にあるものを観た時、なんとも人間は愛らしいと感じます。
ああ、愛なんだなって思います。
正解はどこ?って言われたら「愛」としか答えようがないかもしれません。いや、そうでしょう。
愛し合うためにやっているんでしょう。
んん〜なんてことだ。言葉にするとなんともかんとも野暮ったい。
でも、あえて言葉にしていこうと思います。そんな2017のワタリーショップになります。
ほなー。
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