古舘伊知郎さんの「トーキング・ブルース」を観た

昨日、古舘伊知郎さんのトーキングブルースを観た。

6年ぶりのトーキングブルースが無観客で開催されるとは。だから観ることができたのかもしれないけどね。リアルだとチケットを取るのもなかなか大変だから。

トーキングブルースは古舘伊知郎さんが1人でとにかく喋り続ける。報道ステーションをやる前は毎年やっていた。その圧倒的な喋り、熱量。もうそれがカッコいいんだ。

全部見れてないがワタリは「言葉」という演目が大好きで何回も観た。

また新作がみれると思わなかった。

65歳の古舘伊知郎さん。

冒頭。今までのトーキングブルース紹介のVTRが流れたのちに、静かにステージに出てくる古舘さん。開口一番「早口でまくし立ててる映像ばかり流しやがって。若い時はエネルギーがあるからね。とにかく早い。でも早けりゃ良いってもんでもないんだ」

もうこの段階でぐっとくる。

65歳の古舘伊知郎さん。6年ぶり。そして無観客。

どんな気持ちで臨むんだろう。なんて思いながら食い入るように観た。

その答えはすぐに明快に出た。

登場前のVTRで、ブルースの定義について話ししていた。

「見せかけの平等、見せかけの自由。新たな差別。グループ解体。奴隷解体はいいけども、その分孤独を背負い込んだ。だからブルースの定義はハッキリしている。打ち捨てられていった者たちのむせび泣きすすり泣きなんだよ。そして、欲求不満な者たちの苦悶なんだ。さらには運命論者たちの悲しみの果ての乾いた笑いとユーモアなんだ。失業者の怒りであり、近親、親しいものが死んでいった、そういう人たちの嘆き、これをブルースの定義として一人で弾き語ることとして始まった。さぁ、俺はどうする?トークするブルース」

そして静かにステージに表れた古舘伊知郎さん。「やりづらいよ無観客」と言いながらすぐに思いについて語った。

「自分の想いをどう言葉にしようか?いやちょっと待てよ。こんなご時世だ。これは、今年に入ってからの今、同時生配信できいてる見てるあなたの、あなたの心の奥底の一部を俺が代わりに言葉にして喋れないか?これに尽きるなと思ったわけだ。今年に入ってからのいろんな人の嘆き。これを口にする。これこそブルースだ。だからいま見てるあなた、聞いてるあなた。どうか1つ、これから心の奥底のあなたの心の宿便を、俺が出させてみせるから俺の喋りによって、よく聞いてくれ、だから、家で今聞いてるんだったら、そらもう酒飲みながらマスクなんかとっていいわけだから。トイレいったっていいから、トイレ行くときは必ずイヤホンさしておいてくれ。ずーっと聞き逃さないように聞いててほしい。これが言いたかったんだ俺は」

これがブルース。これがトーキングブルース。

だとするとワタリの即興1人芝居LIVE「ヒトリワタリ」もブルースだ。なんて勝ってに思ったりする。傲慢か!と自分に突っ込みながらも妙に腑に落ちたんだから仕方ない。

ヒトリワタリは即興芝居ブルースだ。

自分ひとりで自分の想いを語り演じるだけでない。そこにいる人達の人生にも呼応していく。良いも悪いも全部ひっくるめて露わにする。演劇というもので昇華していく。

「禊落とししてるみたいな感覚になる」とヒトリワタリを観た人の感想もあって、それらの言葉とトーキングブルースにとんでもなく惹かれている自分と今回古舘伊知郎さんが語られていることの点と点が繋がった。

自分というものが明確になっていくきっかけっていうのは、自分の好きなことや好きな人の中にあったりするんだなって思った。

静かにはじまったトーキングブルースはどんどん熱をもっていく。

広めの客席。ディスタンスをもって置かれた椅子には誰も座っていない。古舘伊知郎さんはそこにひたすら90分喋り続けた。

8/19にヒトリワタリをやる前にとっても良いものをいただけた。

Photo by Jonathan Cooper on Unsplash


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