ときには自分を疑うことをしようか

コミュニケーションについて悩んでいたり、
表現について悩んでいたりして、
自分に問題があるとなり、なんとか修正しようと取り組む。
しかし、なかなか改善されない。
色々やってみるけど、うまくいかない。
新しい方法を見つけて、これだ!ってなってもなぜかうまくいかない。

そういう人を観て思うことを今日は書こうと思います。

自分のルールが強すぎる。

自分の容器の中にいろんなルール、こだわり、プライドがはいっていて、それこそが自分だと思っている。
だから新しい価値観が入っていかない。
マイルールをなくすことは自分じゃなくなるって思ってる。
それを変えることや、なくすことは、死ぬことと同じように感じてしまう。
だから、変わらない。変われない。
表面的にしか取り入れられていない。
すべてマイルールの上に乗ってしまい、根本を変えることができない。

「わかった!」

の多くは

体現できておらず、頭で理解・解釈しているだけのこと、なのだ。
つまりそれは何もわかっていないということなのだ。

何年やっていても同じところをぐるぐるまわっている。
人間関係でも同じような人が現れて同じようにモメてしまう。

それは根本的な部分が変わってないからだと思う。

どうしたら良いのか?っていうと

「純真なる心と身体で素直に臨むこと」
これに尽きるのですが、

こんなこと言われてもさっぱりわからないよね。
「それってどうやったらできるんですか?」ってなるよね。

こないだ駅に向かう道すがら、公園の横を通った。
公園の入口付近に2〜3人の男の子たち。
公園の中でブランコに乗っている女の子か体をひねりながら、その入口付近にいる男子に向かって

「殻を破ってもっと陽キャになりなよー」

と言っていた。
小学生でも「殻を破ること」を知っている。
そして彼女はきっと方法も知っている。

でも大人になるとわからなくなるんだ。

なんで素直になれないのか?っていうとね。
変だと思われることが怖い。
群れから外れることが怖い。
そんななにかしらの不安や恐怖があって、
なんとか成立する自分を作らないと!って頑張り
不満足ながらなんとか成立してるっぽい自分を守ることに必死になっていると、
素直にはなれない。

自分を守っているから、どうしても片手間になる。

で、その頑張って成立させた自分っていうのを、もう無意識に操縦できるレベルになってるから、
素直じゃないってこともわからないんだ。

だから、まずは自分を疑う。

そのために準備が必要で

まず安全を確保する。
信頼できるコーチのもとで
情熱を燃やし「よっしゃ」と臨む。

安心安全があるからオープンになれる
そして情熱の火で、自分がどんな状態でいるのかを見る覚悟を焚きつける。
そうやって自分を知って、
安全な場所から離れて冒険にでる。
というか、もうその「自分を知る」という事自体が大冒険だと思う。

殻を破るにも段階があるんだと思います。

「自分を守ることに必死になっている自分」に気づいていなかったらば、冒険に出てもあまり成果がでない。
まず楽しめない。
むしろ
「殻を破らないとダメなんだ!」ってなっちゃってる。
下手すると
「冒険にでろって言ったじゃないか!怪我しちゃったぞ!どうしてくれるんだ!」
と超絶他責思考になっちゃう。

または

「冒険に出たんですけど、とくに何もないっていうか〜、あ、まぁ夜は危ないな〜って思ってはいました〜」

自分自身が霧の中だとどこにいってもなにをしても、眼の前が真っ白でなにもわからない。

何か新しいことを学ぶときも
その道のプロであっても

自分を疑うことはとても大事なことだと思う。

いまどうなってる?
疑い、振り返って点検する。

思い込んでいたこと、誤解していたことが出てくる。
気づけは修正ができる。

ときには自分を疑うことをしてみよう。

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