語尾に違和感。自分の文章はどこに向かって投げかけられているのか?を知る

お正月はなんだかんだゆっくりしたワタリです。

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はいっ。この最初の1行「お正月はなんだかんだゆっくりしたワタリです。」に決めるまで少し悩みました。

え?この言葉の何に悩んだのか?って思いますよね。

それはね。

語尾!

最初は

「お正月はなんだかんだゆっくりした」

だったんです。

で、なんか・・違うな。

となって

「お正月はなんだかんだゆっくりしました」

と書いてみる。

この2つはワタリの中で大きく違います。

もしかしたら文章をちゃんと習っていたら簡単に「あ、それはね~」と答えみたいなのがあるのかもしれません。

でも完全に我流なので、自分の中の違和感でしかなく。これなんだろうと。

で、考えてみると、この違いは「対象をどこにおいているか?」なんじゃないかって気づきました。

前者は「1人語りをしているような日記のような文章」。
後者は「誰かに話しかけているような文章」になってます。

で、ワタリのブログではこういうことがわりと日替わりで起こっているんですね。

まぁその時の気分で書いているからそんなに決める必要はないんだけど。

でも、今回「対象をどうするか?で文章の感じが違ってくる」と気づき、自分のブログを読み直してみると日替わりって気づいて「じゃあおめーさんはどっちが好きなんだい?」って聞いてみると「誰かに話しかけている」ほうが好きだなぁと知ったのは案外おおきな発見なのかもしれません。

その昔、オールナイトニッポンゼロのパーソナリティを一般公募してたときがあって、デモを送ったら受かって最終選考までいったことがあったんだけど(※うっすら自慢ね)。
そのときに「マイクの向こうに高校生が1人で聞いているのを想像してください」と言われたのが印象に残っていて。
すごい対象がしっかりしているんだなぁと。

ワタリはそこまでしっかりと対象を絞っているわけじゃないし、絞る必要もないけど、少なくとも自分や誰かに届くように語っている文章が自分的に良いなと知った2022。

で、冒頭の文章。

「お正月はなんだかんだゆっくりしました」から、さらに変化した「お正月はなんだかんだゆっくりしたワタリです」となりました。

これどっちなんだろう?(笑)

ときに自分の妄想に入り、ときに完全に誰かに喋っているような文章。

でも全体として外に向けて発信している。

そんな感じなんが良いんかもしれません。

日々ブログ書いててうっすら考えていることを言葉にできた感。

これあたりまえ?皆はどんな文章なんでしょう?

テレビでみた「さんまのまんま」に出ていた大泉洋さんと劇団ひとりさんのトークのうまさとか、マトリックス新作を映画館でみたいからマトリックスを見直してることとか、すき焼きを割り下から作ることにチャレンジしたよとか、そんな日々のことを書くか~と思っていたらこんなブログになったのもまた面白い。

1行でいろいろ考えるんよねぇ。

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