南フランスのアヴィニヨン演劇祭で観た「芸」が17年経った今でも心に残っている

25歳の時。はじめて海外にいった。
初海外は南フランス。
目的はアヴィニヨン演劇祭を観に行くことだった。
世界中のアーティストが集まってたくさんの出し物が開催される。

その中でワタリが一番心を奪われたのは日本の大道芸人「雪竹太郎」さんのパフォーマンスだった。

静かにゆっくりと、でもしっかりと届く声。
その時のネタは「有名な絵画」を観ている人と一緒につくっていくものだった。
その時の参加者への関わり方が、なんというのか、雪竹さんからは1つも不安がなく、参加する人も「参加するのが当たり前」みたいな感じになっていた。

また違うネタではお客さんと一緒に冒険に出るみたいなものがあって、その関わりが美しくて嬉しくて、お客さんの前に出た参加者も楽しそうで、夕暮れどきの夕陽に包まれたアヴィニヨンの背景に溶け込んでいて最高だった。

そんな雪竹太郎さんに話を聞かせてもらう機会があった。

アヴィニヨンを案内してくれたり自分が寝泊まりしているテントを見せてくれたりした。

雪竹太郎さん
25歳のワタリ

「朝が来て太陽と共に起きてヨガをして、寂しくなったら街にいって友達をつくるんだよ」
「最近は携帯電話を持ってる人が増えてね、芸の途中で音が鳴ると難しいね。その音に勝とうとして戦っちゃうと負けるから、その時はね、僕は遠くで吹いている風とか、その風でなびいている葉っぱの音とかに意識を向けるんだよ。地球につながるようにするよ」

そんな極意のような話を聞かせてくれた。

25歳のワタリはそれを絶対に分かりきれてはいないのだけど、そのスケールの大きさに「すごいなぁ」と感動したし「孤独だなぁ」とも感じた。
憧れもある一方で「それはできないなぁ」という恐さのようなものもあったんだとおもう。

でもなんとかその感覚を味わいたい!と思ったのか、初海外でストレスがとんでもなかったのか、こんな環境にいるのに何もパフォーマンスしないなんておかしい!ってなったのか、無理くり街なかでゲリラパフォーマンスをした。つたないフランス語とパントマイムで。(※そこでもらった2ユーロ40セントはいまもワタリの宝物)

それから17年経った。

ワタリは「日光無一文旅」や「即興道中膝栗毛」なるものを開催したり、ロクディムで日本中を旅したりしている。

今なんてチャリで旅!なんて考えている。

ワタリのこういう行動の下地にはあのアヴィニヨンでの雪竹太郎さんのパフォーマンスに出逢った影響があるんだろうと思う。
こうやって今でも想い出すってすごいことだよなぁと思う。

実際に「出逢う」こと。「観る」ことってなんて素敵なことなんだっておもう。

そこには人生を変えるチカラがあるのだ。

「旅」「出逢い」「芸」

そういったことがワタリの人生の真ん中にいる。

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