しんどくとも、求められてなくとも、なんだか続けていることには意味があるからもっとやったりや

最近はブログ更新できてないけど、日記は毎日書いてる。
そしたらなんかフラストレーションを感じ始めた。

フラストレーションの声を探ると

誰にもみせてないその日記。意味ある?

と、もうひとりのワタリが聞いてきていた。

だから日記を書くという行為は、自分の中でどんな意味や効果があるのか?考えてみた。

まずは記録。
何月何日になにをしたというのは時に役に立つ。
一年前のこの日に何をしたのか?
以前もやっことのある場所でのLIVEで、前回はなにを感じたのか?
「自分Google」みたいに自分のことを知る手がかりになる。

じゃあそれをブログにも書いたらええやん。

またもうひとりのワタリが言う。

「いや、読み物としてはそんなに面白いものじゃないねんな」
「そうなん?」
「時々面白いで。でもそれは出来事が面白いんやし、そういうのはブログにも書いてるしな」
「そうじゃない時はブログとしては?」
「厳しいやろうな」
「でも前に『ブログは半径5メートルの人に自分の考えていることを伝えるメモ帳みたいなもの』みたいなこと言うてたやん。そんなんやったら日記でええんちゃうの?」
「そう思ったんやけど、ちゃうねんな。日記って出来事と所感の繰り返しで、思考を掘り下げたものとちゃうねんよ」
「あかんの?」
「42歳のおじさんが何時に起きて朝に何食べてって知りたい?」
「マニアックな人は知りたいかも」
「それいうたらなんでもそうやし。そしてマニアックな人に伝えたい!とは思ってないし」
「まぁ、自分がどうしたいか?ってことやんね」
「せやね」

日記がダメってことじゃなく。

でも例えばワタリ自身が今までの日記をいつかじっくり読み返そうとかってなるのかな?と想像する。
寝たきりとかになってもうあとは死を待つだけみたいな状況であれば読むかもしれない。
でもそんな状態のときに文字を読む気力があるかは疑わしい。

だから今のワタリとしては日記の意味や効果っていうのはあくまで自分が知りたいときの記録だったり、過去の自分を知る手がかりとして機能するものだとおもう。

前にブログを毎日更新頑張っているときには【日記】をブログに書いたりもしたことがある。
それは「毎日更新」に重きをおいたことが大きい。

じゃあ今は?

毎日書きたいっいうことと、今までよりもしっかり書きたい。

そんな想いがゴチャン!となってるのだとおもう。それで書けないときが増えてるの。
でもそれだといつまで立っても書かないの。うんこちんちん(意味不明)

「じゃあさ」

とまた声がする。

「日記じゃなくブログ書きぃや。毎日」
「え~」
「え~ってwまぁわかるけど」
「誰に求められてるわけじゃないのに?」
「誰に求められているわけじゃないのに続けていることにはきっと意味があると思うねんな」
「そうか」
「しんどいとか、辛いなんてのは当たり前で。修行やねんて。書きたいんやろうし、発信したいんやろうし、上達したいんやと思うで」
「そうなんかなぁ」
「知らんけど」
「知らんのかいな」
「知らんけど、書きたいって思ってるワタリがこのままやとストレスやで」
「せやな」
「ライターワタリに書く時間与えてやったらええねん。それだけや」
「せやな」

ということで今日はその一歩目。

ライターワタリのストレスが減った。

写真は誰に求められているわけじゃないのに勝手に続けているJam TIME。皆にも支えられて写真のワタリは楽しそう。そういうことなのだ。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • ブログうんぬんはさておき(失礼:笑)Jam TIMEは、私にとっては楽しみのひとつでもあります。
    毎回、違う相手とやるとこうなるのかという見どころや、お芝居の進め方などが異なり、参加する度に今回はどんな事が起こるのかな?とワクワクします^ ^ 少なくともここに求めている者はおりますのでお知らせいたします♫

    • 冒頭の言葉は聞かなかったことにして 苦笑
      Jam TIMEどうもありがとうございます。いい企画だと自分でも思っています。ひとまずオンデマンド配信がんばります。

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