8月6日。感謝の心がこみ上げた。
メルマガで8月6日のことを書いた。でもなかなかうまく言葉にできない。
なんだろう?何が言いたいんだろう?という試行錯誤はワタリの中でこの日をどう考えているのか?につながっていく。
心の中で合掌したいんだけど、うまく手が合わない感じ。もどかしい。
頭では70年以上前の大惨事を思っている。そこからなんとなくそれっぽい言葉も出てくる。でもその時に出てくる映像っていうのは資料館やテレビで観た映像でしかないし、そこから出てくる言葉はなんだか借り物な感じがして居心地が悪い。
何回もタイプしては消してを繰り返す。そうしていくうちに心は次に「広島」というキーワードで映像を映し出してきた。
ツマミちゃんの顔だったり、広島の家族の顔だったりがでてくる。
そして次に毎年広島で開催している「即興ミュージカル『ヒカリ』」の面々も浮かんできた。広島に想いがあって活動している人たちの顔。
そこで想う。
あぁ、この人達に出逢えたのは、この人達の笑顔や一生懸命な顔を観ることができるのは、あの想像を絶するような混沌と混乱と絶望の中で、それでも必死に生きて命をつなげた人たちがいたからこそなんだと。
それがなかったらワタリがいま心で観ているこの笑顔はないんだ。
そう想った時、こみ上げてくるものがあった。
感謝。心から。
今までよりも心から合掌できたのは、頭の中の「理解や解釈」という世界で「この日は大変なことがあった日だから拝まないと」という入り口じゃなくて、自分の大切な人たちから入ったからだなと気づく。
そう考えると117でも311でも414でも911でも、手を合わせる時に浮かぶ顔があります。
そうやって具体的に人の顔が浮かぶこと。だからこそ自分ごととして感謝できたり、そこから当時のことを想像して想いを馳せたりできる。
そういう人たちとの出逢いが日本全国にあるっていうのは貴重なことだ。と、思うとそんな出逢いをくれたロクディムに改めて感謝だなぁと思います。
これからもっとたくさんの人達と逢いたいなぁ。
と、いまは東京で想っています。
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