「この瞬間を一緒に笑おう」
自分が人生の大半をつかって探求している即興をツールにして何を届けたいのか?
「この瞬間を一緒に笑おう」
今日のライブでお客さんにどうなってほしいのか?
「この瞬間を一緒に笑おう」
結局、ロクディムはどこに向かっているのか?
「この瞬間を一緒に笑おう」
どうあってもここにたどり着く。
チームの指針でもあるし、個人でも同じくここに集約されてしまう。
「この瞬間を一緒に笑おう」は一文字も削ることができない。
「この」「瞬間を」「一緒に」「笑おう」
皆と共有している「この」。
頭の中に生まれる「過去」でも「未来」でもない。
生きているのは「この瞬間」のみ。
この刹那。つまり「この瞬間」は「永遠」ともいう。
過去は記憶。未来は妄想。
現実はこの瞬間のみ。
生きるということは「この瞬間」を生きるということ。
その「この瞬間」を1人でもなく、仲の良いチームだけでなく、お客さんのごく一部でもない。
全員のこと。全部のこと。それが「一緒に」ということ。
「今」という「この瞬間」を生きている皆と一緒に。
しんどかったり悲しかったり、恋していたり、喜んでいたり、怖がっていたりと、たくさんの人生を生きている皆と一緒に。
「笑う」のである。
そのとき、境界線がなくなっちゃうのよ。
私とあなたの間にあるものが、ふわ~ってなくなるのよ。
皆が一緒に笑う。
真っ白になる。
光りに包まれる。
それは言葉にしたら圧倒的な多幸感だったり、愛だったりするのやつなんだろう。
忌野清志郎先生なら「愛し合ってるかーい!」だ。
猪木先生なら「元気ですかー!?」だ。
ジョン・レノンだったら「イマジン」だ。
ロクディムなら「この瞬間を一緒に笑おう」だ。
それがワタリが思う「この瞬間を一緒に笑おう」です。
それを一緒に体験したい。
そんなん味わったら、そらお届けしたくなるよ。
日本中まわって、ひとりひとり逢って、一緒に。
ロクディムを観て、なんか涙がでるっていうのはそういうことだ。
今日よく眠れそうですっていうのはそういうことだ。
明日からまた元気に頑張ります!っていうのはそういうことだ。
あなたもわたしもあいつもあの人も皆、一緒に笑うんだから、そんな最高なことはないよ。
世界中に届いたらどうなる?ってイマジンしてみてほしい。
今日も一生懸命考えたり、ひとりひとりと向き合えるのは、そんな夢をもってるから。それを現実にしたいから。
I have a dream.
ってやつなんだ。
「何様のつもり?」「で、皆ってそれは地球の人口のことなの?facebookの「いいね」いまなに人なの?」「はは・・いまいくつ?」
バカにされたり、笑われたり、止められたり。他人じゃなく親しい人まで言うてきたりしたこともあった。
自分でも「えーーー?どうなのー?有名人でもあるまいし」って頭の中の誰かが言ってきたりすることもある。
でも今もって考えちゃう。どうしても「そっちのほうが面白いやんか!」ってなっちゃう。皆でこの世のこの瞬間を一緒に笑う世界をイマジンしちゃうワタリはもう狂ってるんだろう。
仕方ない。変態なんだから。
ただ臆病でもあるから、大声じゃなかった。
でも、その小さき声は年々、大きくなっちゃってる。
ド勘違いの阿呆で構いませーん!なんて開き直っちゃってる。
いつか全部なくなるんだから。
この世を目一杯遊びきるのが即興遊戯だ。
この世のゲームをどこまで楽しむのか。
喜びも憎しみも。全部。すべて。
この瞬間を一緒に笑おう。
6月6日。ロクディムの日なんて言うからさ。改めて書いてみたよ。
是非、全国から、世界から観てほしい。
そんで、こんなワタリだから、皆の「変態で狂ったイマジン」を聞きたい。
そして言いたい。
「そうイマジンしちゃったんなら、やったらいい。『誰かがやるとか、誰々がもう似てることやってるとか』そんなこと気にせず、あなたがやったらいい。とにかくめちゃんこ応援するから!」って。
2020年6月6日 ロクディム共同主宰、渡猛
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