「ロクディムALIVE」はワタリがロクディムの歴史を振り返っていく「完全主観ノンフィクション小説」です。
その想いや前回までの話しはnoteのほうに書いてありますので是非みてやってください。
渋谷のどこかのカフェでロクディムはチームになった
2010年の暮れ。
渋谷だったかな。どこからのカフェでロクディムが集まる。
この頃のロクディムは、7人からいまのロクディム6人になっていた。
7人から6人になったことについて、ここで語ろうかどうか何度も悩んだけど、書かないことにしました。
書いて良いかどうかを確認することもなんだか手前勝手な感じがしたし、この「ロクディムALIVE」の目的が6人の活動のためでもあったので、その企画の中で語るにはあまりにも不適切だと判断しました。
ただ間違いなくロクディムの記憶の中に、歴史の中に、7人のロクディムはいます。それがあったからこその今であることは間違いないです。ということはここにも書き残す!
閑話休題。
舞台は2010年の渋谷へ。
ロクディム6人が集まった。
話しがしたいと言ったのはワタリとカタヨセヒロシ。
話しの内容は「このロクディムを2人にくれないか?」だった。
なぜこんな話しになるのかというと、前回の記事で書いたようにこの時のロクディムはあくまで東京コメディテストアジェイの数ある「LIVEコンテンツの1つ」として存在していた。
ロクディムは毎月1回やっていた。それを2年くらいやっていたとおもう。
クロコダイルで毎月単独LIVEをやる経験。
コンテンツの1つに過ぎなかったのが、2年もやっていくと「チーム」に育っていった。
ましてや2000年にワタリが「一緒にやりたい!」とラブコールしたメンバーばかり。どんどん色々チャレンジしたくなってくる。
そんな欲求が「あくまでコメディストアジェイのLIVEの1つ」という枠組みとぶつかった。
いまの環境は全責任を負っているわけではないのだ。
最初はそれが安心になっていた部分もあったとおもうが、それだと物足りなくなっていった。
失敗も成功も全部。もっと自分たちで、自分たちの責任でやっていきたい。
外に出て旅がしたい。
そんな想いをカタヨセヒロシとはなししたときに
「僕たちのやっていることはどこでもできる。照明が必要とか大道具が必要とかじゃない。だから、全国どこでだってできるんだ」
なんて話しになり、「こりゃ来年からはチームとして全国でどんどんやっていこうよ!」って話しになった。
それを話しした時の気持ちの高揚を覚えている。
でも皆は?他の皆もやりたいことがあるのかもしれない。
聞こう。話しをしよう。
ということで渋谷のカフェ。
皆に想いを伝え「やりたいことはあるか?」と聞いた。
皆「とくにない」となった。
じゃあワタリとカタヨセがやりたいことがある。
だから
「ロクディムを2人にくれないか?」となった。
これがロクディムが「チーム」になった瞬間でもあるし、渡猛とカタヨセヒロシがロクディム共同主宰になった瞬間でもある。
じゃあやろう。2011年にやろう。ジャパンツアープロジェクトをはじめよう。
これからどんどんロクディムでたくさんの山を登っていこう。
そして2011年がきた。
コメント