やっていることをジャッジせず、ただただ夢中に。個人の学びを超えて、全体として深まった。それはチームとして必要な熱。

20190109(水)

意識革命が起きた日。

ワークショップが始まるギリギリまで考えを深める。

そのエッセンスを集まった皆に話す。

そのおかげかは分からないけど、ワークショップはそうとうな集中力になった。

相手のエネルギーに純粋に乗るというワークに終始する。

また途中で経験のシェアがあって、皆で話しが白熱する。

「あ〜!!」とか「うーー!!」とか言いながら、また取り組む。

どんどんやる。

言葉も排除し、とにかく相手とともにいることで、見えてくるものがたくさんあった。

人によっては相手を伺い寄り添い過ぎて、自分の芯がないことに気づく。

人によっては自分のやっていることが自分本位過ぎて相手を無視していることに気づき凹む。

人によっては、できるかどうかが気になりすぎて破れかぶれになる。

シンプルなワークであるがゆえに、色んなことが浮き彫りになった。

その中で「相手とともにいる」という瞬間も味わうことができた。

時間を過ぎても「やりたい」ということで続いた。

全体としてとっても集中力があったのは、集まったメンバーが今やっているワークに何の疑問も持っていなかったということ。

やっていることの中での疑問や課題はあれど、やっていることには飛び込んでいる。

意識もキャリアもバラバラの人が来るBasicだと学びはそれぞれになることが多い。それはそれで良いのだけど、こうなってくると学びは個人のものとして終わらない。

外枠にたいしてジャッジがない。だから取り組んでいる人に対しての不要なジャッジがない。

その中でも学びは全部が「自分ごと」になる。

全体としてとっても熱気があり、だからこそ発見できること、深まることがあった。1人1人の気づきにとどまらず全員で深めていくという経験だった。

たまにこういうことが起こる。

それは「やりとり」を超えて「一緒にいる」ことに特化したワークをやっていたからかもしれないが、それにしてもなかなかこうはならない。目的をともにしているチームみたいな状況になっていた。

集まる人やタイミングによってワークショップの質が格段にあがる時がある。当たり前の話。


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