今日のオンライン・ワタリーショップでの話。
流れから「始まったことをやり切る」をテーマに即興をした。
その前の流れが
「なんとなく会話してなんとなく終わる」
「やり取りをしていて「このままいっても何も生まれないかも・・」と勝手に判断して話を急に変える」
「または『ここはもっとこうしたほうが』と作為的になる」
が多かったからだ。
「だから、始まったことをやりきる。やりきった先にある展開に乗る」
と伝えてワークをはじめた。
しかし、なかなかできない。
あるシーンが終わって振り返っているときに気づいたことがある。
「あれ?このアドバイス何回どころか何千回と言っているぞ」と。
もちろんそれは理解のうち。
それでもまた同じことを言うのは、人は聞きたい話しか聞かないということを理解しているから。だから「何回もいうのが当たり前」と思っていたのもある。
だけど。今回はものすごくひっかかった。ちょっと待てと。
彼女たちには伝わってるはずだと。
そこで「皆、理解はしてるんだよね?もう分かってるんだよね?」と聞く。
「わかってる」となる。
このときにワタリの中で大きい衝撃がきた。
わかってる。伝わってる。理解している。
ところができない。
それは分かってないのと同じ。伝わっていないのと同じということだ。
そこでワタリは「いまのやり方で良いのか?」という問いがきた。
「自分ができていないことがわかる」
それはとっても大事だとおもう。
そして「こうできたら良かった」ということも理解する。
それも良いと思う。
でも。
一番大事なのは「それができる」ことなんじゃないか?と。
「うまくやりたい」「認められたい」という評価の中で身動きがとれない人が多いから、まずは「うまくできなくていい」と伝えるし、そういう空気をつくる。そうすることで力みがなくなり、結果良いパフォーマンスになる。
できなくても良いという世界の中で安心を作り出し、その中だからこそ解放できたり、委ねられたり、相手に心を開く分、自分のことを知ることができる。
しかし、それはこちら側が大きいクッションを用意してコケても痛くないよ~って中で自転車を練習させるのと同じような。
でも実際はアスファルトの上でやることになるんだ。それはもう世界が違う。
ちゃんと自転車に乗れるようにするには?
そもそもちゃんと自転車に乗れるようにするワークだったのか?と自分に問う。
もちろんそうだ。乗れなくていいよっていうけど、それは本当に乗れるようになるために言っている。
でも。
いつの間にか、自分でも気づかないうちに、少しずつ変わってきていたのかもしれない。
いまのワークでワタリのやっていることの多くは「できないことを自覚させる」「こうできたら良いというビジョンを一緒に観る」「自分のやったことのどこが喜びなのか?を自分で知っていく」ことで「本当にできるようにする」にそこまで意識がいっていなかったのかもしれない。
つまりクッションが用意されている安全な中で自転車をこいでみる。自転車に乗れるかどうかというよりも、その過程での自分の気づきにフォーカスする。その気付きを自分のフィールドに活かすには?と思考を掘り下げる。そういう意味では有意義である。
しかし、
結果「できる」に届きづらい。
そこに気づいた。書いててより深く気づいた。
で、どうするか。
自分を深く知っていく。
という要素はそのままに。
その上で「できる」を目指す。目指そう。
そのために何ができるか。
「できてる人を観る」
「できた体験をする」
その要素も入れていくことが必要だと感じた。
つまり「一緒にやる」や「サイドコーチ」を取り入れる。
それをすることで「答え」みたいにならないようにするバランスは必要だ。
または他にも方法があるのかもしれない。
なのでまた試行錯誤がはじまります。まずはワタリの在り方が変わる。
自覚したぶん「いまはクッションがある」「いまはクッションを外している」がわかる。
それがまた楽しみ。
そういう意味で、ワタリはワタリのワークをやり切ったんだとおもう。
つぎの展開が見えた。
それは一緒にやり続けてくれている人たちがいるからだ。
感謝。
少し話はそれるかもだけど、そもそも「即興ができる」ってどういうこと?っていう質問も浮かぶ。
究極的には即興に「できる」とかないというのも正解と思っている。
ただ筋書きがない中で「相手の言っていることやっていることを正見し必然として受け取り進ませ発展させる力」「想定外を楽しむ心」「危険なほうに身を置く勇気」それらの力がないと、やり取りも関係も物語も生まれない。
その力を養う必要があると信じているワタリには「できる」が存在するんだなと思う。
あぁ、もっとうまくまとめられる気がするが、今日はここでおわり!
コメント
コメント一覧 (2件)
お疲れさまです!
この記事大好きです!
『渡さんが』ワークをやりきったお話だったんですね!
不意をつかれました(笑)
渡さんのように、自分のやっていることに疑問が浮かぶのは『やりきったから』なのかもしれないという発見が大きかったです!
私もやりきろー!
やりきるのススメ。どこが「やりきる」なのかはその人によるんだろうね〜。それを知るためにもどいどんやりきっていこー!