ワークショップ。
話からはじまり、身体を動かしていく。
そこから言葉を使っていくワークに進む。
皆がやっている様子をみて、なにがどうなっているのか?をみていく。
ワタリの頭の中で「自分を使えているのか?もっと全体でまるごとでやれるんちゃうかな?」っていう想いがむくむくわきあがる。
なんでそう思うんだろう?って自分に問う。
言葉が邪魔をしているんじゃないか。
原因は1つではないが、まずそう仮定してみる。
じゃあ言葉を排除してやってもらう。
やっているのを見る。
それでもまだ判断がある。反応が生でない感覚がある。
どうなっているのかをみる。聞く。
なんでそうなるのか?を考え、じゃあどうしたら?とめぐらせる。
ふいに閃く。
心から湧き上がった言葉じゃないと話したらダメ。
それをワタリがジャッジしてベルを鳴らす。
鳴らされたらその言葉の前に戻る。
というのを試してみる。
自分でジャッジせず。ジャッジはこっちでする。
こっちでジャッジする分、ハードルが高くなる。
さっきまで通用していたものは通用しなくなる。
いま発している自分の言葉がペラペラだとなった時、じゃあどうやったらもっと奥底から言葉がでるような芝居になっていくんだろう?と考える人、ただ、ベルを鳴らされないように立ち回ってしまう人。
少しずつ、今の自分が浮き上がっていく。
自分で自分を気づけるところまで浮き上がっていかないと気づけない。
あまりにも自分が自分の身体を使えていないことに気づく。
もっと自分を楽しく喜びで満たしてあげる。
やりたいのは共演者と一緒に自由に遊んでいくこと。
なのに、ちょっと湧き上がった欲求を「これが消えてしまったらどうしよう」と心配になって動けなくなる。
なぜせっかくついたかすかな火を消えないようにっていうマインドになっているのか。
やりたいのはキャンプファイヤーだ。
皆で楽しめるような火をつくりたいのだ。
ということで、今自分はどんな自分なのかを知る必要がある。
皆でキャンプファイヤーをしたいって言ってる。そのつもりで参加している。
だけど、実際はそうじゃない表現や思考がオモテにでている。
だから、本当に何がしたくて、いまの自分はそっちに向かっているのか? を見る必要がある。
言葉は簡単だ。でも実際に行動している人は少ない。
そのことに、ほとんどは気づかない。
自分の考えや想いが身体を動かさないようにしているということ。
強い欲求よりも不安に支配されてしまうこと。
強い欲求でなく不安な状態に転じているということ。
自分の欲求を知る。
その欲求が自分を動かす。
そうであるには、自分がパニックになっていないこと。
情熱を冷静に見る視点。
落ち着いていること。穏やかであること。
その上で自分を動かしていく。
自分の火がより燃え上がるように動くことができる。
消えたら消えたでそんときだ!動け!火がもっと燃え上がるように!
落ち着いているから動ける。守りに入らず、自分を動かせる。
冒険にでることができる。
また即興においては、やはり自我があると相手に影響を受けられない。
こうしたいというプライドが邪魔をする。
つまり「こうはなりたくない」というのが出てくる。
風が吹いてきたら、その風と自分の身体のまま自然に揺らぎたいのだけど「ワタシはこう動きたい」と言ってしまう。
純粋に風に影響を受けられない。
思考が邪魔をしている。
理想が邪魔をしている。
妄想が邪魔をしている。
という自分に気づくことが稽古。
理想が邪魔をしている場合は「なんで即興を?」っていう疑問も出てくる。
自分が本当に何をしたいのか?を知っていくワーク。
最後は皆、全力。
最初と最後が全然違う熱量になっている。
不安が自分をさらに小さくさせてしまう。
根っこを「不安」から「楽しい」に。
そして実際に身体を動かしてあげよう。
まず自分を喜ばせること。
自分が喜んでいないと「したい」ことが「しないといけない」になって、結果相手から奪ったり、相手のせいにしたりする。
日常にもとってもよくあること。
自分を楽しませる。満たしてあげる。穏やかにいる。
これが本当に大事な時代がきてる。
Photo by Aziz Acharki on Unsplash

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