「何が失敗で何が成功なのか?」という問いから始まったワークショップ。
インプロ的にという視点も必要。
だけど、自分は?
自分にとっても失敗や成功とは?
やりたいことが何なのか?という欲求がはっきりなければ失敗もないだろう。
ということで、自分の「失敗」や「成功」を語ってもらって書き出す。
そこからさらに自分の目的や欲求を掘り下げていく。
例えば「笑い合う」というのができたら成功だとする。
じゃあ「笑い合う」ってどういうことなのか?
そういう現実をつくっていくために自分はどう在る必要があるのか?
イメージはできるのか?
じゃあやってみよう。
「でも」と続く。
「あまりやったことがないから、とたんに不安になります」
「不安になるということは、そこまでやりたいってことじゃないのだろうか?」
という考えがやってくるようです。
そう考えている自分は誰なんだろう?
なりたい自分になったら、世界が変わる。つきあう人間もかわる。環境が変わる。その自分にあった世界になっていく。
そんなの手に負えない!ポンコツでもどうなるかわかっている今の自分のほうが良いじゃん!
と、ものすごいエネルギーで今のままの自分でいようとする。
変化をしないようにものすごいエネルギーを費やす。
なりたい自分になるには、不安はつきもの。
むしろ不安が教えてくれる。大事なことだと。
自分の欲求にとことん光を当てる。
それ以外見えないくらいの光を。
で、それをするために具体的に動いていく。
で、やりきったときに分かる。
「これが最高」や「これじゃないな」が。
動いていないうちに出てくるものはたいがい妄想。迷走するための妄想。
エネルギーと時間を使ってどこにもいかないようにする。
と、今の自分の声がなんなのか気づいていく。
深く潜っていくことで、表面にある雑念、邪念が聞こえなくなっていく。
また、相手のことばっかり考えてしまって、自分の声に耳を傾けてなかった人が、自分の声がたくさん聞こえてくるようになった。
それが良かったという。
耳を傾ける。まず自分に。
そのたくさんある声の中に「欲求の声」がある。
そこから潜っていく。
本当にやりたいことに出逢って、それを現実にしていく。
それがないと、即興はただの甘えになる可能性がある。
「まぁうまくできなくても良いよね。それも面白いよね」
失敗も成功もしたくない。今の自分が何をしているのかも見たくない。本当の欲求にも出逢いたくない。という意味にも聞こえる。
または即興を盾に自分を守る。
「即興的にはこうだから!」「こうすべきだから」
と、自分を棚にあげて相手を非難する人もいるようです。
今の自分が何をしているのか?をワークショップでは掘り下げていきます。
そこに気づかないと、何をしていても時間を無駄にしていることと同じだから。
即興自体や、そのあとの振り返りの言葉を聞いているとわかってきます。その人が何をしているのか?
ん?伝わってないかもとなったら、時間をかけてでも伝える。
それが浸透したワークショップ。
途中、突然
本当の強烈な即興体験をしたらもう自分の好きとか嫌いとか、自分の性格上の問題とか、過去に何があったからとか、未来への不安とかもう全部なくなる、というかそんなレベルの話じゃなくなる。こういう即興もあっていいよねーとかそんなしょうもない世界のことじゃないんだ。全部の境目がなくなって、全部、一緒。即興っていうのはそういうものだ。1度でも経験したならもう元には戻れない。そこに連れていきたい。そうじゃなきゃいけないって言ってもいいくらいだ。本当の意味で即興を知っている人は少ないと思う。それは見たら分かる。ワタリもまだまだだ。まだまだわからないことがたくさん。でもどこに向かっているのかはわかってる。それが正解かどうかはわからないけど。やりきってみる。
というような言葉がぶわーって出てきた。最後までは言わなかったが、およそ上のようなことを言おうとしていた。
欲求の話だったから、ワタリの奥底の欲求にスコンと繋がったんだと思う。
「おおっ」
と自分でもびっくりする瞬間だった。
そんなワークショップ。
最後は良い瞬間がたくさんあったように思います。

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