身体のことに興味がでたのは20歳くらいのころだった。
即興がマインド重視で、どうにも成長しているような気がしなかった。
身体からアプローチできないか?と考えたんだと思う。
そこで身体のことを勉強しはじめた。
たくさんの本を買って読んだ。
伊藤昇さんや高岡英夫さんの本が始めだった記憶がある。
丹田やセンター、肋骨操作などなど。
どうやってセンターを鍛えたらいいのか?を調べた。
またピンときたらワークを受けた。
身体は野口体操、呼吸は加瀬メソッド。
1年くらいやったのかな。
それと同時にパントマイムも習い。和太鼓も受けた。
パントマイムではピエロとしてテレビ(BS-i)でデビュー。1時期、レギュラーコーナーを持っていた。
和太鼓では学校公演で全国をまわった。
どれも熱中した。
やればやるほど身についていく感覚があった。
ただ、自分の中の真ん中には「即興」があった。
「全部はそのために」という意識がある。
それは今も変わらず。
で、いま日野晃先生のところで「武道」のワークに参加させていただいている。
達人が目の前で繰り広げるいろいろは、もう「魔法」にしかみえない。
「え?ホグワーツ魔法魔術学校ってここにあったんだ」
って思った。いまも思ってる。
「みたままやる」「自分で判断しない」「やりながら考える」
そんなことは知っている。
知っているが、どうしようもない。
知っていてもできない。
また「みたままやる」なんてできない。
身体が疑っている。また常識に囚われたりしている。
そんな自分とバンバン直面する。
昨日、先生に言われたこと。
「アプローチの仕方」について。
いままで、どれだけ「雰囲気」でやっていたか。
どれだけ「やっている風」だったか。
それを実感した。
いや「風」といっても、どのレベルを目指すかによる。
「風」でも全然通じることはある。
ただ、自分が「風」なのかどうか?を知っているのか?
それってなかなか分からないことだよなと思う。
わかるのは達人のようにはできていないという事実。
それがあるからわかる。
いや、人によってはそれすら分からない。
「コートに入ればいい」というテニスなのか、「インコースギリギリにいれる」テニスなのかで違う。
自分がなにをしているのか?を改めて認識した。
とんでもないレベルの人から見ると、だいたいが「なにしてんの?」という世界なんだということがわかる。
わかって笑ってしまう。
ワタリだって、ある人をみて「なにしてんの?」って思うし、言うことがある。
しかし、もっと高い次元がある。
近所の高い山は制覇した。
なかなかいい景色がみれる。
まわりの低い山のことはよく見える。
しかし、もっと高い山と出逢ったとき、自分が全然高くないと知ることができる。
しかし、今の段階ではどうやったって、もっと高い山の視点をもつことはできない。
今更・・と悲観するか。よっしゃーとワクワクするか。
それは自分で選べること。
どうあっても自分。
観念して、やっていく。
さて自分は自分を使ってどこまでいけるんだろう?
演劇。しかも即興という表現だから、よけいにわかりづらい。
ただ、実際にあらわれるのは身体だ。
ここがかなりポイントだ。
相手を感じる。
自分を操作する。
意識と無意識。
もっと向き合える。
ワタリにとって有り難いのは体現者がいるということ。
そうじゃなかったら、全部が机上のものだと思う。
1年や2年じゃ無理。
いちいち結果を気にせず、あがいてみよう。楽しみつつ。
ただ、やる、だ。
Photo by Marek Szturc on Unsplash
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