【武道ブログ】言葉にならない体験をなんとか言葉にしてみる

武道の稽古でした。
毎回終わると「ひぃや~!体がボロボロや~!疲れた~!」とヘロヘロになって帰るのだけど、今回は圧倒的。

最初の10分が永遠、でした。

中でも師範代と向き合った10分。これがもうとんでもありませんでした。
とてつもない「気迫」。
向き合い、同時に突きを出していくのだけど、もう・・・ああああ。ダメだ。なんかこの書き方だと全然違うことになる。説明できない。

昨日起きた体験を綴りたいのだけど、今のワタリの文章力ではとてもじゃないけど表現しきれない。
だけど、書きたい。残しておきたい。

すいません。もうメモみたいになるかもしれません。

とにかく言葉にしてみる

師範代と向き合ったあの10分ばかし。(※正確に何分やったのか全然わからない。体感時計は正確なほうなのにもうまったくわからなくなった。永遠?って思うほどだった)

師範代の気迫によって呼び起こされた本能。
もうとにかく全力で臨まないと!なんてことを考える余裕もない。
体が逃げようとする。本能的に恐れて腰が引ける。
「向き合え!打て打て打て!逃げるな!」と自分に言う。向き合う。それでも体が逃げようとする。
この段階で師範代と関われていない。とにかく自分を奮い立たせることに必死なだけ。

恐怖から体がこわばる。余計に力がはいる。息がとまる。息を止めていることにすら気づかない。
だからとてつもなく体力を消耗している。ゼーゼーいってる。
あ・・さっき食べたやつが・・・なんて状況はいついらいだったか?部活?
師範代はブレず、こっちに向き合う糸をいっさい切らさずに向き合ってくださっている。
こっちは息も絶え絶え。でもなんとか一矢報いたい。打て打て打て。ちょっとでも稽古になるように関われ。
自分の突きが相手に当たるかも・・なんてことはいっさい考えず全力で突きを繰り出す。

かすりもしない。

逃げ腰になっているときとそうでないときの違いくらいは味わえた。

終わって、別の稽古になる。
そのあとの稽古の間、ときどきワタリにある感覚がやってきていた。
それがなんなのか?イマイチ言葉にできない。ただ、涙がでそうな状況になった。

ふと、昔の記憶が蘇る。

小学生の時。空手をやっていた頃のこと。

小学生高学年のワタリ。でも同じ年の子は1人もいない。低学年ばかり。
その低学年の中にまじって「やーやー」と稽古している。しかもサポーター付きで寸止めの空手だった。空手の世界で言えばなんだろう。お花畑が満開のような平和な「お空手」。
低学年の子たちがいなくなったあとは1人で型の練習。
先生はただ見ているだけ。

そんな状況でやっていたある日。

高校生がきた。黒帯だった。でかい。ごつい。黒い。黒帯。
組み手をすることになった。
低学年相手に余裕で稽古を続け、1人のときは意味もわからず黙々と型をやり続けたワタリの強さを試せるときがきたぞ!

「構え・・はじめ!」

一閃。

いきなり鼻を殴られた。鼻血がでた。え?え?なにこれ?
今度は回し蹴り。しっかりワタリの腹にはいる。ん!え?なになに?

ここ・・寸止めダヨネ?平和なポカポカの・・!ここは寸止めカラテダヨ!?

なんて頭で思っていた。でも相手は全然そんな世界にいない。ブラックベルト高校生。

「構え!」カマエタクナイ。
「はじめ!」ハジメナイデ!

・・くる。すごいスピードで殴られる。やられる。やられる前に!やらないと!
蹴る。それと同時に、いや、それよりも圧倒的な速さで突きがくる。

そのときだった。

ブラックベルト高校生の突きが、蹴りのために足をあげている状態のワタリのもとにくる。

その位置、ちょうどおキャンタマ。

ワタリのおキャンタマに当たる。ビンゴ!ビンゴー!景品はPSP!
いや、PSPは大人になったワタリがもらった景品。文章までもがタイムループ。
うずくまる小学生ワタリーボウヤ。でもおキャンタマが当たったとは言えない。
それを公にいって楽しめるメンタリティは小学生ワタリーには、ない。

おキャンタマに当たってない感じで立ち上がる。

「構え・・!」おキャンタマ死んだ?
「はじめ!」おキャンタマ死んだの?

もう蹴りは出せない。いや、なにもできない。

ブラックベルトに向かう=おキャンタマの死

という方程式が完成した。

アインシュタイン先生が発見した「E = mc²」くらい完璧な公式となっていた。
とてつもない恐怖感。

最終的に恐くて背中を向けた。すごいスピードでお尻を蹴られた。先生が笑った。おキャンタマを守るには背を向けるしかなかった。

そこから、空手の日がくるのが怖かった。

「今日もいるのかもしれない・・どうしよう・・ええい!いくぞ!」と自分を奮い立たせ行く。そして黒帯はこない。こないんかーい!の繰り返し。
で、忘れたころにまた来る。パチーン!いやー!

っていうのが2回くらい続いた記憶がある。

あの「本能的に感じる恐怖」が、今日の師範代の気迫によって顕れた。

でも!それはトラウマ再来って感じじゃなく。
感じたのは、嬉しさや、有り難さだった。

あのとき。小学生のワタリがなんとか向き合いたかった恐怖。
それにいま向き合えている喜びだった。
それはワタリにとって本当に本当に大事な体験だった。

本能として怖い!ってことから逃げた自分でいたくなかった。

そんな自分を体験できたり、そんな気迫で向き合う人との関わりはなかなか体験できない。

本当に有り難い。

帰りの電車の中で、いろいろ考える。

自分の世界に思いを馳せる。

自分が人生をかけて関わっている、即興や演劇の世界に対してここまでの向き合いをしているのだろうか?
あの向き合う濃度でコメディをやる。即興をする。
自分なりの表現を。自分を全うする藝とは?

全力でぶつかる。
即興。一瞬。全力。

解体する。また1から見つめてみる。いや、そんなレベルで今まで一度も見つめたことなかったんじゃないか?って思う。

もっと自由だよ。もっと濃厚だよ。もっと深くて無限だよ。
自分がこなせる範囲にいない。即、興じる。

と、気持ち良さげな言葉を使おうとしていて恥ずかしい自分もいるが、とにかく残しておく。

追伸:写真は「お空手」をやっていた頃にワタリ。おキャンタマは死んでなかったよ

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ABOUTこの記事をかいた人

即興遊戯者/インプロバイザー・渡猛(Takehi Watari) 奄美大島生まれ兵庫県育ち。 即興芝居×即興コメディ=即興エンターテイメント集団「ロクディム」共同主宰。 即興で演じ、歌い、踊る1人芝居ライブ「ヒトリワタリ」を全国展開中。 ブロードウェイで最もロングランした1人芝居「Defending The Caveman」を初アジアバージョンとしてハリウッドキャスティングディレクター奈良橋陽子監修のもと、2年間公演を行い好評を得る。 即興(インプロ)ワークショップ「ワタリーショップ」を都内で定期開催。 大学や企業でも即興ワークショップを通して「この瞬間を目一杯感じて、自分を愛し、無我夢中に遊びあい、交ざりあい、笑いあう人間関係を育む場」を提供している。 京都精華大学非常勤講師。