自分を疑え

物心つく前から当たり前にあるものってあるじゃないですか。

身に付けているもの。使用しているもの。食べ物も。

それらを改めて「なんでこれなの?」「本当にこれ?」と疑ってみることって大事だなぁと思うんです。

もう4年くらいまえにワタリはその「疑う」ということに出逢いまして。

「え?シャンプーそれ使ってるの?私はもうお湯。体ダメになるよ〜」

友達の何気ない一言だったんですが、その視点って・・と、じわじわと効いてきたんです。

自分の意識で選んでいないもの。周りにあることやもの。

シャンプーも歯磨き粉も食べ物も最初は自分で選んでないからね、当たり前にまぁこれでイイよねって感じで。

それらが本当に必要なのかを自分にちゃんと聞く事。

もしくはそれが一体どんなものなのか?を知ることってあまり意識してなかったなぁと。思考停止してたと。

それから、シャンプーやら何やらを自分の出来る範囲で楽しんで変えていったら、うん、良い感じなんですね。

で、1年前。

ある出来事から「名前」にも疑問を持ったんです。

渡猛改め「ワタリ」となります。

2016.08.19

で、変えて実感するのはね。

自分にも人にも影響のあることがあるんだと。

特に食べ物。特に名前。

自分的に「あ、なかなかに大きいことだなぁと」

名前なんかは自分で名乗るよりも呼ばれることが多いわけだから、当たり前だよね。

で、まぁなかなかの覚悟とそこそこの楽観を交えて変えたんです。

名前を「渡猛」→「ワタリ」に。

したら

1年後

ソウルメイト・カタヨセヒロシから言われた本音「で、いつ名前戻すの事件」をきっかけに

先日名古屋で出演した「吉田ジョージのトークしよう!」で、吉田ジョージさんから言われた「渡猛の方が良くね?事件」

が勃発。

で、今ですよ。

完全にアイデンティティぐらぐらの渦中。

100%悩みの中にはいるんですが

その中での気づきとして

前よりも「渡猛」という名前がしっくり来ているということ。

ワタリを経て、経たからこそ感じること。

「なんか強すぎるんだよね・・猛」という感覚が

自分が猛々しくいても良いという境地にいったような。

時代が

「ワタリ、もう猛々しく行っちゃってよ。アートもエンタメも教育も優しいだけじゃもう立ち行かない時代だからさ。そもそもエンタメやアートには狂気がなくちゃさ。猛り狂ってなきゃさ」

なんて言われているような(そう思うこと自体が狂気なんだけど)

良くも悪くも

出てきたものを受け取り入れてみる体勢をもつワタリは、いまそんな感覚を全力で正当化し始めているよ。

ただ、間違いなく自分の名前に疑問を持ったことでより自分にフィットした。

今あるものを疑うことで、違う視点が生まれ、それによって選択肢ができて、よりそれと自分の関係を知れる。つまり自分を知れる。

即興で遊戯するものにとってとっても大事なことなのです。

え?じゃあ名前元に戻すのかって??て聞かれて

もうちょっと悩ませて。グズグズと。って思っているワタリは全然猛々しくないね。

決めたら報告します〜。


2 件のコメント

  • 浅草 千秋楽、なんとも不思議な一体感の心地好さ…。ナチュラル・トリップの世界を共有させていただき、ててて、てんきゅ~‼

    • 鈴江さん。ご来場いただきありがとうございました!挨拶できずすいませんっ。こちらこそ!てててて、てんきゅ〜!!!です!!

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    ABOUTこの記事をかいた人

    即興遊戯者/インプロバイザー・渡猛(Takehi Watari) 奄美大島生まれ兵庫県育ち。 即興芝居×即興コメディ=即興エンターテイメント集団「ロクディム」共同主宰。 即興で演じ、歌い、踊る1人芝居ライブ「ヒトリワタリ」を全国展開中。 ブロードウェイで最もロングランした1人芝居「Defending The Caveman」を初アジアバージョンとしてハリウッドキャスティングディレクター奈良橋陽子監修のもと、2年間公演を行い好評を得る。 即興(インプロ)ワークショップ「ワタリーショップ」を都内で定期開催。 大学や企業でも即興ワークショップを通して「この瞬間を目一杯感じて、自分を愛し、無我夢中に遊びあい、交ざりあい、笑いあう人間関係を育む場」を提供している。 京都精華大学非常勤講師。