熱望すること

熱望するものがないと、すぐに自分のパターンに収まる。

自分の妄想だったり、記憶だったり、常識だったりに流される。

「こう成りたい」と言ってる人でも、その時その時の快·不快や相手の発言に飲み込まれたりする。

熱望するものがないと、即興は習い事になる。習い事になるとルールを守ろうとする。「共演者と共に楽しくいる」「相手に良い時間を与える」がルールみたいになる。
それは本当の意味では成り立たない。

根っこに「楽しく一緒」よりも「ルールを守る」や「うまくやる」があるから。

一緒に遊ぶルールを守る人。
心から相手と一緒に遊ぶ人。

くらい全然違う。

何にしても心からそうなりたいと熱望する気持ちがないと、自分ごととして捉えて取り組めないんだよなぁって思う。

また、そのつもりでやっても、いつの間にか、「自分が安心していること」や「リラックスしていたかどうか?」や「まぁ悪くなかったよね」という感想になっていたりすることにびっくりすることがある。またそれが面白いなぁとも思う。

良いとか悪いとかってことでなくね。やっていることの本筋ではないってだけで。だけど、ルールでやっている人にはそういうのが伝わらない。
同じ稽古でもやっている質が全然違う。

熱望がないと、その場の自分の快·不快や、周りの空気に流される。下手すると自分が不快になっていたり、やりたいことができないのはその空気のせいだって話になる。

自分の生きたいように生きる。自分を全うするために生きる。

そのために今、どうするか?を真剣に考えないと、勝手に流される。

自分は何を熱望しているのか?

それを知っているか知らないかで、いろいろ変わってくる。


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ABOUTこの記事をかいた人

渡 猛

即興エンターテイメント集団「ロクディム」共同主宰。 即興で演じ、歌い、踊る1人芝居ライブ「ヒトリワタリ」を3年半毎月開催。vol.41を経て全国展開中。 自身が主催する即興ワークショップ「ワタリーショップ」を都内で定期開催。他、日本中の大学や企業でも即興ワークショップを通して「今の自分に気づき、見て、大事にする」「他者と失敗を笑い飛ばしながら、喜びの中で関わる」即興体験を提供している。